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↑ 三菱銀行人質事件(1979)


昭和54年(1979)1月26日14時半ころ、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に猟銃
を持った男が押し入り、行員2名と警官2名を射殺、銀行に人質を取って立て
籠もりました。

犯人は梅川昭美(うめかわ・あきよし,1948.03.01大竹市生れ)。15歳の時にも
強盗殺人事件を起こして少年院に入れられています。少年院を出てから大阪
でナイトクラブの職員として働いていましたが1年ほど前にそこがつぶれて
失職していました。彼は正式に銃の所持許可を受けています。通常銃の使用
許可申請に対しては前歴が調査されますが、法律上、少年時代の犯罪を問う
てはならないという規定があるため、警察も許可を出さざるを得なかったと
いいます。

梅川は押し入るとカウンターにいた行員の前に袋を出し「これに金を入れろ」
と言い、続いて銃を数発天井に向けて威嚇発射しました。客や行員の悲鳴が
飛び交う中、一人の従業員が110番しますと、すかさずその行員を射殺。
梅川は金を出させてすぐに逃げるつもりだったのですが、銀行から逃げ出し
た客がたまたま通りかかった警官に「強盗です」と告げ、その警官が直ちに
行内に入ってきました。

警官が拳銃を構えて「銃を捨てろ」といいますが、梅川は「撃てるもんなら
撃ってみろ」といいます。そこで警官が威嚇射撃をしますと、梅川は即座に
その警官を射殺しました。

更に少しして110番通報により警官がまず2人駆けつけてきますが、梅川
はこの警官に向かっても銃を発射。一人は防弾チョッキのため難を逃れたも
のの、一人は死亡しました。しかしその後到着した他のパトカーにより銀行
は完全に包囲されてしまいました。梅川は籠城を決め込みます。

人質の中に子供を二人連れた主婦がいて子供達がひどく泣いていましたが、
梅川は「ぼく泣くな、あんたら出ていいで」と言って3人とも解放します。
更には妊婦が一人いたのも解放。その後も高齢者や病気の人を順次解放して
いきます。また「片親の者いるか?」と尋ね、手を挙げた女子行員を解放し
ています。

一方では梅川は他の人質たちに逃げられないように男女とも上半身裸になる
ことを命じ、全員後ろ向きに並べた椅子に座らせました。そして「ここの責
任者は誰や?」と聞き支店長が名乗り出ると「こうなったのはお前のせいや」
と言っていきなり射殺しました。

更には行員の中で落ち着いて行動していた年輩の男性に「なまいきや」と言
って銃を発射。反射的に身をかわしたため致命傷は逃れたものの、この行員
は死んだ振りをして、そのまま倒れて身を動かさないようにしていました。

梅川は別の行員にナイフを渡し「まだ絶命してないだろうからこれでとどめ
を刺せ」と言います。この行員が機転をきかせて「もう死んでますよ」と言
うと「だったら耳を切り落として持って来い」と言います。行員は小さい声
で「済まない」と言いながら、耳の上半分を切り落としました。

翌日、梅川が逃走用に盗んでおいた車の線から犯人の身元が分かりますと、
母親と叔父が説得するためにやってきました。しかし梅川は一切の問いかけ
を拒否。せめてもと母親が手紙を書いて差し入れると、しばらく後に人質に
服を着ることを許可。数人の女性を解放しました。

また死んだ振りをしていた行員が梅川の異常な行動につい我を忘れて起きあ
がって抗議をすると『もう死んでますよ』と言った行員に「なんだ、まだ生
きていたじゃないか」と言います。二人とも何をされるかと恐れますが梅川
は「まぁいいか」と言って不問に付しました。梅川はその後彼を含めて怪我
人を全員解放します。

梅川は消費者金融などに合計500万円ほどの借金をしていましたが、その借入
先数件に電話を掛け「ニュース聞いてるだろう。今から金返しにやるから」
と告げます。この返済役を中堅の行員が「必ず戻ってきてまた人質になりま
すから」と言ってかってでました。

行員は梅川の指示通りにお金を返してまわり行内に戻りますが、この時警察
との接触で突入の際の合図をする役割を依頼されます。梅川は再びお金の
借入先に電話をして確かに返済されているのを確認しました。

一方警察は地下の金庫室に鍵の専門家の協力で侵入し、そこに隠れていた人質
を救出、また中に気付かれないように毛布で覆って光がもれない状態にして
ATMの陰から中の様子をのぞいて見れるようにすることに成功していました。
そしてまだ当時はその存在も公開されていなかった特殊部隊SATのメンバー
が7名、銀行の廊下に潜んで突入の機会を待っていました。

28日午前8時42分。3日目に入ってさすがの梅川も体力の限界が近づいてきて
いました。銃を手から離してそばの机の上に置き、ややウトウトしていた所で
件の行員が合図を送ります。次の瞬間、拳銃を手にしたSATのメンバーが
突入。「伏せろ」と人質に向かって叫びながら、犯人の頭から胸にかけての
領域に向けて発射。梅川は銃をつかんで撃とうとしたところで致命傷を受けて
崩れ落ちました。(その後搬送された病院で死亡)

44名(内最後までいたのは25名)の人質にとっての恐怖の42時間が終わりました。


(2001-01-29)

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