※「セキュリティ保護のため...」というメッセージが出る方・日本語が入力できない方へ
↑ グリコ森永事件(1984)


1984年3月18日21時半頃、江崎グリコ社長の江崎勝久氏の自宅(西宮市)に賊が
入り、入浴中の勝久氏が誘拐されました。犯人達は身代金10億円と金塊100kg
を要求しますが、21日に勝久氏は茨木市の小屋から自力で脱出し警察に保護さ
れました。しかしこれは一連の事件の序章にすぎませんでした。

4月7日、警察と複数の新聞社に、犯人グループからと思われる「けいさつのあほ
どもえ」で始まる手紙が届き、それ以降もしばしば手紙は届くようになります。
グリコ本社への放火事件を経て5月10日「グリコのせい品にせいさんソーダいれた」
の手紙が届き、実際コンビニの店頭で「どくいりきけん たべたらしぬで 
かい人21面相」と書かれた青酸ソーダ入りの菓子が発見されました。

事件前半のクライマックスとなったのが6月2日。犯人から3億円の要求があり、
グリコがこれを用意して受け渡し場所で待っていた所、現金を受け取りに若い男
があらわれたので待機していた警察がこれを拘束。ところが、この男性は恋人と
デート中に銃で脅されて拉致され、彼女を人質に取られたまま(実際にはすぐに
解放されている)現金の受け取りに来させられたものと判明します。そして
6月26日にはマスコミ宛に「グリコゆるしたる」という手紙が届き、これで一連の
グリコに対する事件は終息しました。

しかしグリコ事件の終息の裏で、6月22日、犯人は今度は丸大食品に5000万円を
要求する手紙を出していました。更には7月11日にはハウス食品など数社にも、
手紙が届き、9月12日になると森永製菓に1億円を要求する手紙が届きました。
10月7日には各地のスーパーで青酸ソーダ入りの森永の菓子が多数発見され、
一週間後にはNHKに青酸ソーダの固まりが送られてきました。そして11月7日には
ハウス食品にも1億円を要求する手紙が届きます。警察は誘拐事件以外では異例
の報道協定をマスコミと結び、今後こそお金の受け渡しの現場で犯人を確保しよ
うとしますが、当日現場近くで怪しい車が他県警の通常警邏中であった警官に
職務質問されて逃げるというハプニングが発生。失敗しました。(そちらの
県警には事件のことは通知されていなかった)

犯人から食品会社への脅迫状、警察への挑戦状などが相次ぎ、12月7日には今度
は不二家にも1億円を要求する手紙が到着。年が明けて1985年2月12日にもまた
青酸入りの菓子発見。更に犯人たちからの手紙は続いていきますが、事件が
完全に終了するのはこの年の8月。江崎勝久氏の誘拐事件から1年半近くが経過
した時でした。

一連の捜査の不手際の責任を感じて、滋賀県警の山本昌二本部長が8月7日に自殺。
すると犯人はそれに反応して8月11日「もうゆるしたろ くいもんの会社いびる
の もお やめや」という手紙を送ってきます(翌12日到着)。実際にこれ以降、
犯人グループの動きは全く無くなりました。

警察の必死の捜査にかかわらず犯人の手がかりはほとんどつかめず、このまま
事件は迷宮入り。結局2月12日の青酸事件から15年たった2000年2月12日関連する
全ての事件の時効が成立しました。

これだけ大量に青酸入りの食品がばらまかれたにも関わらず、犠牲者が出なか
ったのは奇跡としかいいようがありません。大半は店頭で回収され、唯一買わ
れてしまった菓子も子供が食べる前に母親が異常に気づいて届け出たため、
事なきを得ています。

犯人グループの中で唯一コンビニの防犯ビデオから顔が確認された「キツネ目
の男」にしても、あれだけ顔が全国に報道され、また街頭にも多数写真が貼ら
れたにも関わらず身元は不明。今回の事件とあるいは関連するのではと考えら
れた江崎グリコに対する10年ほど前の脅迫事件についても、そこから今回の
事件へと犯人像をたどっていくことはできませんでした。

この事件では警察の対応が常に後手後手にまわってしまっており、特にハウス
事件の際のハプニングは、県警同士の連携の悪さを厳しく指摘されました。
そして大量の遺留品があるにも関わらず、まったく犯人像へ辿り着けない問題
について、捜査の方法自体を新しい時代に向けて見直すべきであるとの声も
強く出ました。またこの事件で遺留品から犯人たちが警察無線を傍受していた
ことが判明したことは、警察無線をデジタル暗号化させるきっかけとなりました。

店頭の食品に大量に毒物が混入されるという問題は、食の安全という面から
国内の多数の食品メーカーに難問を突きつけました。各社ではシールを剥がす
と「開封済」という文字が浮き出る包装や、1ヶ所でも穴をあけると縮んで
パッケージが破られていることが明確に確認できるシュリンク包装などの技術
を開発しました。そもそも事件を恐れて消費者がこの手の食品を買い控える
動きが出た上に新しい技術を開発し、更にはその新型パッケージ費用も負担し、
食品会社は実際に脅迫された所以外でも大きな経済的打撃を受けています。
小さいメーカーの中には操業停止に追い込まれた所もあったようです。

この事件の背景についても様々な人が勝手なことを言い、妄説の多さでは1968
年の東京府中刑務所横での三億円強奪事件と並ぶものがあります。その中で
多くの人が指摘しているのが、犯人からの終息宣言の直後の航空機事故との
リンクです。

8月11日の終息宣言をうけてハウス食品の浦上郁夫社長はこのことを前社長の
墓前に報告しようと、日本航空123便に乗って大阪へ向かいました。ところが
この航空機は飛行中にトラブルが発生し操縦不能となって御巣鷹山に墜落、
乗客乗員520人が死亡(4人生還)。浦上社長もこの事故で亡くなっています。

この事故現場に、大量の1万円札の燃えかすがあった、などというのは、
某劇団がこの事件に関わっているなどという話と共にガセネタでしょう。

(2005-03-18)

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