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B52の爆発事故(1968)
1968年11月19日、沖縄の嘉手納空軍基地でベトナムに出撃するために離陸した 米軍のB52爆撃機が離陸直後に失速して墜落爆発炎上するという事故がありま した。この事故で乗員2名が重傷を負ったほか、爆風で付近の民家139戸が被害 を受け5人の負傷者が出ました。 当時は沖縄はまだアメリカの管理下にありましたが、これで沖縄の反米闘争が 燃え上がり掛けました。 当時沖縄は実はとても微妙な情勢にありました。太平洋戦争終了後、アメリカ は沖縄を実効支配し、共産主義政権・中国の防波堤にすべく多数の兵力をここ に置いて、USCER(琉球列島アメリカ国民政府)を設置し、グアムやハワイ等と 同様にアメリカの事実上の領土にしようとしていました。しかし島民達は軍事 的な圧政と、米兵たちの市街地でのわがままな振る舞いに反発しており、自治 の確立を求めました。そして紆余曲折の後にアメリカは譲歩して、琉球政府の 主席を公選することを認めました。その初代(結果的には=最後)の主席に 選ばれたのが、屋良朝苗(やら・ちょうびょう,1905-1997)でした。 この屋良が主席に選ばれた頃、日本政府は佐藤栄作が卓越した交渉能力で沖縄 の日本への返還を働きかけていた所でした。沖縄内部には独立論もあったもの の、米軍の支配下よりは日本に復帰する方が「まだマシ」という空気が大勢で、 屋良もそういう日米の交渉を睨みながらの沖縄運営という路線を進みました。 さてそういう矢先に起きたのがこのB52爆発事故でした。ここで沖縄の人達は 一斉に嘉手納基地の撤退、あるいは最低でもB52の配備停止を求めて運動を始め ます。しかしここでこういう運動があまり加熱しすぎると、アメリカが反発して 沖縄返還交渉に関して態度を硬化させる危険がありました。屋良は東京に飛び 木村俊夫官房長官と会談します。そして「B52はタイの基地に移動されるという 感触を得た」と発表。これによって、予定されていたゼネストが回避され米軍 の態度硬化も回避されました。そして沖縄返還交渉も順調に進みました。 実際には、B52は移動されませんでした。1980年代まで配備されていました。 これを「幻のB52撤去感触事件」といいます。屋良と木村の間でどのような やりとりがあったのかは知るよしもありません。ただ、最低でも沖縄の日本へ の返還の日程を早める効果くらいはあったのではないかと思われます。 B52は太平洋戦争で日本の国土を大量に爆撃したB29の事実上の後継機です。 米軍は爆撃機に「B」、戦闘機に「F」を付けるのが習わしです。 B29がプロペラ機であったのに対してB52はジェット機で、1952年初飛行ながら まだ数十年は現役であろうといわれる機体です。現在のB52はミサイル攻撃が 主ですが、ベトナム戦争当時は無誘導の爆弾による絨毯爆撃で使用されてい ました。絨毯爆撃は現在の戦争では民間人の被害が大きすぎるとして行わない のが基本となっています。 元々は1940年代当時、避けられないと考えられていたロシアや中国との全面 戦争に備えて、敵国に核攻撃をするために設計されたものですが、幸いにも ベトナムで核は使用されず、冷戦終結とともに核の配備も終了しました。 湾岸戦争では巡航ミサイル、イラク戦争では誘導爆弾によるピンポイント攻撃 に使用されています。
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