フォン・ノイマン(1903-1957)

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1903年12月28日 Johann Ludwig von Neumannがハンガリーに生まれる。

  フォン・ノイマンは今のところ「最後の万能学者」と言ってもいいかも知れません。彼の研究は非常に広い範囲にわたっているようです。が、その中でも、特に有名なのは、数学基礎論に関する貢献と、それに関連して、コンピュータの構造に関する貢献、そしてコンピュータに関して誕生したゲームの理論やオペレーションズリサーチの分野の研究でしょう。数学基礎論というのは19世紀末に発見された「カントールのパラドックス」を解決するために生まれた分野です。「カントールのパラドックス」というのは、我々人類がギリシャ以来、科学の探究のために使用してきた論理体系の中に、実は矛盾が存在していた、という重大な発見でした。カントールの報告があまりに衝撃的であったため、当時の人々はカントールに「おまえの研究はおかしい」といって攻撃し続け、ついに彼は精神に異常をきたして亡くなってしまいます。(昔だったら○い死にしたと書くのだが、最近はことばが不自由で。。。。。)しかしカントールが亡くなってしまうと、みな冷静になり、これは何とかしなければ、ということになります。カントールが発見した矛盾を解決するため、新しい集合論がツェルメロとフランケルにより構築されますが、ノイマンはこの新しい体系に全く新たな発想から拡張を加えます。このノイマンの研究に刺激されてベルナイは、集合論の上位に新たに「クラス論」というものを設定。これをゲーデルが積極的に利用した為現代では、クラス論は非常に重要な研究対象となっています。(実は私は大学・大学院の6年間、授業にはあまり出ずにこのクラスの研究をずっとやっていた)この数学基礎論の中では「人間にできること」と「神様しかできないこと」というのが、厳密に区別されるようになりました。その「人間ができることの限界」について調べたのがチューリングで、この理論をもとに、やがてコンピュータが生まれることになります。前にも書いたのですが、現代のコンピュータというのはつまりそもそも人間の思考のシミュレーションをするために作られたものです。そのコンピュータを作る際にノイマンは開発チームに多くの提言をしています。ひとつが、プログラムをメモリーの中にロードして使うこと。ひとつが、計算は全て整数方式で絶対に誤差が出ないように実行すべきであること。しかし実際には、モークリーらにプログラム内蔵方式は拒否されるし、バッカスに整数計算方式は無視されてしまいます。彼はコンピュータの設計に関しては理想家でありすぎた部分もあったようです。いづれものちには実現されているのですが、その当時その当時には技術的に実現できる範囲に限界がありました。さて、やがて、そのコンピュータが多くの分野で利用できるようになると、ノイマンは「ゲームの理論」という新しい思想を提言します。(実際にはコンピュータが生まれる以前の1944年に提出されている)当時のコンピュータは単純な事務処理や技術計算を実行していた訳ですが、次の時代にはコンピュータがもっと上位の判断をすることができるようになるはずだという思想がそこにはあります。「ゲームの理論」により、会社の経営や、軍事戦略などをコンピュータで計算して、最適の方法を選択することができる。1970年頃まではそう信じられていました。また当時はコンピュータそのものに対する信仰がありました。その信仰が破られるのはベトナム戦争の敗戦です。アメリカはこの戦争において、ゲームの理論に基づいて人員や装備の配置を行い、戦争を戦いました。しかし結果はみごとなまでの敗戦でした。結局当時のゲームの理論というのは、「自分も相手も、より多くの成果があがるように行動する」という前提に立って計算されています。ところがベトナムの人々は、損得ではなく、自分たちの国から外国の兵を追い出すために、まさに献身的な戦い方をしました。当時のゲームの理論では、こういった愛国心や感情のようなものまでは数値化することができなかったのです。ゲームの理論そのものが誤っているとは思われませんが、ベトナム戦争の頃のコンピュータでは、そういう細かい計算まですることはできなかったのでしょう。理想と現実の調整というのは、ほんとに難しいものです。


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