ヴィダル・サスーン(1928-)

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ヴィダル・サスーンという名前を聞いて、これが人名であることを知らない人もあるのではないでしょうか。美容室の名前、そしてそことタイアップした化粧品のブランド名として有名なヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon)は1928年1月17日にロンドンで生まれました。

5歳の時に父が家を出てしまい一家は困窮。彼の兄は一時的に孤児院に預けられていましたが、やがて母の再婚によってまた一緒に暮らせるようになります。ある時、彼の母は夢を見ます。その夢の中でヴィダルは美容室にいました。そこで彼女は息子を美容師にしようと思い、ロンドンの外国人街イーストエンドのCohen理容美容室に弟子入りさせました。14歳の時のことでした。彼は理容や美容のことはさっぱり分かりませんでしたが、ここでシャンプーボーイとして人生のスタートを切ります。

第二次大戦が終了したあと起きた第一次中東戦争に義勇兵として参加しましたが、戦争が終わって帰国したあと1950年代初めにロンドン中心地Bond Streetのビルの3階に、彼の最初の美容室を開きました。

彼の美容室はひじょうに人気が出て、順番を待つ客が店に入りきれずに廊下にあふれるほどであったといいます。しかし彼自身は最初の10年ほどは技術的な問題で試行錯誤を重ねていました。そして1960年頃に彼の名前を大いに高めたWash and Wear (髪を洗ったままの状態で形を整えてしまう)の技術を確立します。これは正確なカット技術があってこそ可能なものでしたが、これにより、ヘアセットをするための時間が大きく短縮され、これによって仕事を持つ女性が限られた時間を利用して美容室を訪れることが可能になりました。

1963〜1964年が彼にとって大きな飛躍の年となりました。ミニスカートを作ったマリー・クァントと組んでファッションショーをしますが、ここで出てきたスーパーモデルがツィッギーでした。

本来ならモデルとして極めて不適な小さな身体(168cm)のツィッギーの髪を彼はひじょうに短くカット。この髪型が彼女の細い足と、それを義理的に覆うミニスカートに絶妙にマッチしました。ミニスカートのブームはむろんMary Quantの大胆な着想に発するものではありますが、Twiggyというモデルがいたからのものでもあり、またTwiggy(本来はファッションデザイナーを志望していた)がモデルになりえたのはVidalがいたからでした。

この時期以降、有名な女優やファッションモデルが次々と彼に髪を「デザイン」してもらいに来ます。時にはデザイン料を何十万円も払うような人たちもいました。これはまさに「ヘアデザイナー」という職業が確立した瞬間でした。

その後彼はイギリス国内だけでなくドイツ、アメリカ、など国内外に26の直営サロンを設置。また1969年にはSassoon Schoolを作ってヘアスタイリング技術の普及にも努めています。

子供は最初の妻Beverly Adamsとの間にCatya,Oleyのふたりがいます。Oleyはギタリストとして一時活動していたようです。Catya(1968-2002)は女優として活躍しました。Mycca,Sykeという双子の娘がいます。Vidalは現在は二人目の奥さんのRonnieと暮らしており、70歳を越えた今でも、イギリスとアメリカを往復する忙しい日々を送っているようです。


(2004-01-14)

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