UNIXの開発者として知られる Ken Thompson こと Kenneth Lane Thompsonは1943年2月4日、アメリカのルイジアナ州ニュー・オーリンズで生まれました。 1966年にAT&Tのベル研究所に配属され、「次世代」のマルチタスクOSとし て開発されていた Multics のプロジェクトに参加します。しかし当時この プロジェクトにはいろいろ問題が起きていました。 そのひとつはPL/Iなどという高級言語で書かれていたため、やたらと重た かったこと。ひとつはプロジェクトの参加人数が多すぎる上に複数の会社 からメンバーが派遣されていたため、何か変更しようと思ってもあちこち 人間的な調整をするのに疲れて、もうやる気になれなかったこと、等々。 さて、Thompsonは実はゲーム・プログラマーでもあり、後になっていくつ かのチェスソフト作者としても有名になったらしいのですが、当時、彼は 個人的に宇宙をテーマにしたシミュレーションゲームを作っていました。 最初彼は、彼らが開発中であったMulticsのシステムにログインして開発 をしていたのですが、個人的な利用なので使用料を払わなければなりませ ん。それが結構な費用になってきていました。 そのとき、彼は研究所の隅に転がって、ほこりをかぶっていた旧式のDEC のマシンPDP-7を見つけます(Multicsのシステムは幾つかの会社の競争の 結果、GEが落札して GE社のマシンで開発が進んでいた)。 もう死んでいるマシンなので彼はこれを自由に使わせてもらうことができ、 彼はここに自分が作っているゲームの開発環境を作り上げ、その時Multics の思想の一部を取り入れました。
このシステムがゲームの開発が進むとともに、段々OSの様相をなしていきます。この間同僚のDennis RitchieもこのOSの整備に協力しています。そして1969年頃同僚のBrian KernighanがこのシステムにUnicsの名前を付けました。これは小さなMulticsという意味です。Unicsの成功の原因の最も重要な点はこのシステムをThompsonとRitchieのほぼ二人だけで作り上げたため、変更が容易にできて、しかも納得の行くまでシステムの調整ができたからだと言われています。Unicsはその後Unixと書かれるようになり、1971年にはPDP-11に移植されました。この時点で Unixが必要としていたディスク容量は 512KBだったとのことです。更には1972-1974年頃にRitchieがBCPLをベースに作り上げた、オブジェクト効率の高い言語 C で書き直され、移植性がよくなります。
後にThompsonはカリフォルニア大学バークレイ校に赴任しますが、この時、同校のスタッフのBill Joyらとともに新しいUNIXのバージョンが生まれます。これが BSD (Berkeley System Distribution)と呼ばれるものです。1983年、ThompsonはRitchieとともにUNIX開発の功績によりTuring賞を受賞しました。