ピーター・セラーズ(1925-1980)

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「ピンクパンサー」シリーズで知られる喜劇俳優ピーターセラーズ(PeterSellers, 本名Richard Henry Sellers)は1925年9月8日、イギリスのハンプシャーのサウスシーで生まれました。

両親は祖母が主宰する劇団で働いているという芸人一家。その中で彼は上の子が幼くて死んだために溺愛されて育ったといわれますが、それでも子供の頃から芸の感覚をつかんでいたようです。

徴兵されて戦争に行った後ロンドンで芸能活動を始めますが1951年「Penny Points to Paradise」で映画デビュー。その後小さな役を色々こなした末1955年の「The Ladykillers(邦題:マダムと泥棒)」でブレイクしました。

ピンクパンサーシリーズの第一作目は1963年です。「ピンクパンサー」というのは色つきのダイヤの名前で、その内部の微妙な傷が豹が踊っているように見えるということからこの名前があります。

物語は一応、そのダイヤを狙う怪盗ファントマ(デビット・ニーブン)とピーター・セラーズ演じるクルーゾー警部との対決という構図なのですが、クルーゾー夫人(キャプチーヌ)の裏切りにより、事態はとんでもない方向に進んでしまいます。

実はこの第一作目には後にこのシリーズの目玉となるドレフュス署長(ハーバート・ロム)も、不意打ちに命を賭ける変な召使いケイトー(バート・クオウク)も出てきません。それが出てくるのは翌年の第二作以降です。

   1963 The Pink Panther1964 A Shot in the Dark1974 The Return of the Pink Panther1976 The Pink Panther Strikes Again1978 The Revenge of the Pink Panther 1982 Trail of the Pink Panther

日本では1974年の作品が「ピンクパンサー2」のタイトルで公開されていて、1964年の作品が吹っ飛んでしまっているのですが、どちらかというと1974年の作品は1964年の作品の続編という感じが強い。1963年の第一作というのはその後の作品とは毛色が違っています。

滅茶苦茶な捜査をする部下のクルーゾー警部に切れてしまって、拳銃と拳銃型のライターを間違ったりして、とうとうドレフュス署長が精神病院行きになってしまうのが1974年の作品。そして1976年の作品ではドレフュスが復讐のために病院を脱走して、全てを消してしまう光線銃を作り世界征服を企みます。1978年の作品ではクルーゾー警部がマフィアに命を狙われ、そこに前作で消えた筈?のドレフュスがまた絡んで来て舞台は香港へ。

シリーズは事実上ここで終わっていて1982年の作品はセラーズが亡くなった後に残っていたフィルムを再構成して作った映画。更に1983年にはクルーゾーが整形手術してジェームズ・ボンドの顔になった!?という設定でロジャー・ムーア主演のCurse of the Pink Panther(邦題:クルーゾー警部は二度死ぬ)などという、ふざけた作品まで作られています。しかし元々ふざけた作品ですから、こういうのもアリなのでしょう。なお、ピンクパンサーシリーズでは、上記の7本の作品の他に、Alan Arkinがクルーゾー警部を演じたInspector Clouseauという1968年の作品もあります。この映画の評は「セラーズでなきゃ詰まらない」という意見と「セラーズよりずっと面白い」という意見が半々のようです。

なお「クルーゾー」はCrusoeではなくClouseauです。Crusoeですと最近話題のCPUの名前でもありますが「ロビンソン・クルーソー」の方になってしまいます。

また007とピンクパンサーの接点としては「クルーゾーは2度死ぬ」のほかに、「カジノ・ロワイヤル(1967)」という作品があります。「2度死ぬ」ではムーアがクルーゾーを演じた訳ですが、こちらでは逆にセラーズがボンドを演じています。そしてピンクパンサーの側でおなじみのデビット・ニーブンもその部下を演じている、これもふざけた作品です。同じフレミングの原作を使っても、イオンプロの作品とは全く違った系統の映画に仕上がっていて、イオンプロのシリーズのファンの人が見たら、怒り心頭に達するという所でしょう(^^)実はアルバート・ブロッコリは、ボンドシリーズの中でこの作品だけ、どうしても映画化権を取得することができなかったのだそうです。

さて、ピンク・パンサーで強烈なコメディ俳優としての地位を築いたピーター・セラーズですが晩年にはひじょうにしっとりとした作品も撮っています。それが「Being There(1979,邦題:チャンス)」。知能障害を持った庭師が偶然の巡り合わせで大物政治家のブレインになってしまうという、構図だけみたら、コメディになる要素の強い作品なのですが、ここではピーター・セラーズは晩年のチャップリンを思わせるようなひじょうに静かな演技をして、この作品をとてもしんみりとしたものに仕上げています。この映画で彼は別の方面のファンを開拓したのではないでしょうか。

その彼も1980年7月24日、わずか54歳の若さでこの世を去ってしまいました。遺作になったのは、ピンクパンサーシリーズのノリで作られたハチャメチャな映画「The Fiendish Plot of Dr. Fu Manchu(邦題:天才悪魔フーマンチュー)」で、この映画のラストで彼はプレスリーに扮してエレキギターを弾いていました。元々彼は映画デビューする前はバンドをしていて、その時はドラムスを叩いています。

結婚は4度。子供は3人でその中で女優ブリット・エクランドとの子供のビクトリア・セラーズも女優として何本かの映画に出演しています。


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