音楽家および占星術師として知られるデーン・ルディア(Dane Rudhyar)は1895年3月23日12:42にパリで生まれました。ノルマン系の家系で出生名はダニエル・シュニビエール(Daniel Chenneviere)です。
早くから音楽の才能をあらわしていましたが13歳の時に腎臓を患い片方の腎臓を摘出する手術を受けています。しかしこれで逆に兵役免除になり、彼の才能の開花には良い方向に進んだようです。音楽以外の分野でも天才性を発揮して、16歳でパリ大学を卒業。第一次世界大戦の混乱から逃れて1917年にアメリカに渡りますが、この時から出生名を封印して、Dane Rudhyarを名乗るようになりました。「ルディア」はサンスクリット語の「赤」という言葉と嵐の神ルドラとの合成語だそうです。彼はこの時期から急速に東洋思想に染まっていました。
彼はアメリカで神智学者のB.P.Wadiaなどと交流。1920年頃から占星術の研究を始めます。1929年には神秘的な叙事詩Raniaを発表。また1936年にはサビアンを世に広く知らしめることになった「The Astrology of Personality」を出版しました。またこの頃から多数の雑誌に占星術関係の記事を書くようになります。このためこれ以降は占星術師として知る人の方が多くなっていきます。
一方彼は1938年頃から絵を描くようになりますが、この絵の方も評価が高く、各地で展示会が開かれるようになります。私もルディアの絵画作品というのはあまり多数見ていないのですが、抽象画ではあっても、ただ筆を思いのまま動かしたという感じではなく、様々な図形やシンボルの組み合わせが画面の中に存在しており、まるで彼の頭の中のまとまりきっていない様々なイメージを生のまま描き出したという感じを受けました。
1985年9月13日サンフランシスコにて死去。享年90歳。
■サビアンについて
サビアンというのは黄道の360度の各度数に付けられた象徴です。通常の占星術の「サイン(sign)」は黄道を12分割して、牡羊サイン、牡牛サイン、...魚サインという名前を付けているのですが、サビアンでは1度ずつ360分割をしています。
元々イギリスの占星術師Charubel(1826.11.09-1908)が360度の度数に吉凶を付けて簡易占いのようなものを作ったのが発端ですが、後に彼は度数の意味は吉凶ではなく、むしろ象徴的に捉えられるべきだとしてこれを全面改訂し、
牡羊01度 男が地平線の見えない畑を耕している 牡羊02度 男が暗い部屋で本や紙や定規が乱雑に置かれたテーブルの前に座っている牡羊03度 男が剣を持ち馬に乗って隊列に加わるため走っていく
といったようなものを作成しました。これを現代占星学の祖であるAlan Leo(1860.08.07-1917)が自身の編纂した占星学教科書の中で紹介。これに注目したのが Marc Edmund Jones(1888.10.01-1980)です。ジョーンズはElsie Wheeler(1887.09.03-?)という知り合いの優秀なチャネラーを1925年のある日、田舎の教会に連れて行き、静かな環境の中で360度ひとつひとつの度数について霊視をしてもらいました。
この方法ですが、あらかじめ360度の度数を書いた紙を用意しておき、この紙の裏側の真っ白な面をランダムにフィーラーに見せて、そこで何が見えたかを言ってもらい、急いでその紙に書き留めるという作業をしていったものです。
この結果得られた象徴をチャルベルのものと比較した所、矛盾していないことが分かり、ジョーンズはこの象徴は使えるとして有人や弟子たちと共にこの体系に関する研究会を開きます。「サビアン」というのは実はこの研究会の名前なのですが、現在ではこの360個のシンボル自体が「サビアン・シンボル」の名前で流布しています。
ルディアは1930年にこの動きに興味を持ってジョーンズと何度も手紙のやりとりをし、やがてこのシンボルの共同研究者になります。そして1936年の著書でこの象徴体系をルディア風にアレンジしたものを発表。大きな反響を得ました。このため現代では、サビアンといえばルディアというイメージが強く、日本国内で出版されているサビアンの本もほとんどが、ルディアが1973年に改訂したシンボルを使用しています。
ジョーンズがフィーラーから得た元々のシンボルとルディアのシンボルを比較すると、ルディアのものはよりビジュアル性・具体性が強くなっており、彼の絵画と同様の独特の世界を形成しています。