ピカソ(1881-1973)

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20世紀最大の画家といって良いでしょう。パブロ・ピカソは1881年10月25日23時15分、スペインのアンダルシア地方マラガに生まれました。彼の名前はとても長いことで有名です。諸説あるのですが、ひとつの説を挙げると

 パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ

というものです。日本の鈴木寿限無さんも真っ青のとんでもない長さですがその長い名前にふさわしいだけの活躍をしました。

彼の制作した作品は91年間の生涯に全部で約8万点。平均しても2〜3日に1作のペースで制作していたことになります。だいたい年代的に分けると次のようになります。(異論が多くあると思います、多分)

 1881-1895 初期の習熟時代1895-1901 19世紀官学派風の時代1901-1904 青の時代1904-1905 バラ色の時代1906 水飼い場の連作など1907 大作「アヴィニョンの娘たち」を制作1909-1912 分析的キュビズムの時代1912-1915 綜合的キュビズムの時代1916-1917 幾何学と抽象化の時代1918-1925 新古典主義の時代1925-1928 破壊と怒りの時代1930-1934 マリー・テリーズのシリーズを制作1935 最悪の状況。一時制作中断。詩人になる。1936-1944 ゲルニカの制作、幾人かの恋人、共産党との関わり1947-1950 陶芸にいそしむ1953-1972 円熟期

彼はたくさん作品を作りましたが、たくさん女性も愛しました。私が把握している範囲で9人の女性の名前があり、その内の2人(オルガ・ジャクリーヌ)とは結婚しています。但し(離婚がまとまらずに籍だけ残っていたようなケースを除いて)基本的にはダブリはほとんどなく、原則として二股はしないタイプだったのかも知れません。子供は有名なパロマを含めて4人。その母は3人。

しばしば「アバンギャルド」という名前を冠する芸術家は単に正統から外れたことをしているだけで必ずしも先進性はなかったりするものですが、彼の場合は真の先進性を常に持ち続けました。彼を「前衛的」とみなす人は現在では少ないと思いますが、その時代その時代で彼は常に前衛であり続けました。最初はおとなしく伝統的な画風であったのが、その美的安定性を破壊して、青の時代を作り、青の時代から脱皮してバラ色の時代に移る。世間でキュビズムがはやればそれにも手を染めますが、すぐにそこから脱出して、キュビズムを純粋なほどに高めた抽象の世界に到達し、しかしそこに安住したりはせずに、更に新しい境地の具象画の世界に戻ってくる。

彼という人は常に自分の殻を破り続けた人です。

ピカソについてキュビズム時代の「変な絵」を想像する人は割と多いと思うのですが、それだけがピカソではありません。彼の絵にはとてもマトモな物も多数あります。彼はこんなことも言っています。『木と羊と少女の絵を描く時、その木と羊と少女を同じ技法で描くのはおかしい』それ故に彼の後半の絵には、何とも分類の難しい絵が増えていきます。

何かと社会問題を起こす「ゲルニカ」は1937年に約1ヶ月かけて制作されたものですが、縦3.5m、横7.8mという巨大な作品です。よくまぁこんなすごいものを1ヶ月で作ったものです。普通の画家なら2年掛けていてもおかしくない。それだけ彼の怒りが激しかったのでしょう。ピカソはフランコ政権が成立した後は(公式には)一度も祖国の土を踏んでおらず、このゲルニカも『スペインに民主的な政府ができるまで』ニューヨークの美術館に預かってもらっていたものです。この絵がスペインに里帰りしたのは独裁者フランコが倒れた後の1981年でした。


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