ピーター・フォーク(1927-)

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「刑事コロンボ(Lieutenant Columbo)」シリーズで有名なピーター・フォーク(Peter Falk)は1927年9月16日にニューヨークで生まれました。3歳の時に癌のため右眼を摘出、義眼を入れていることは有名です。

オシニング高校をクラスでトップの成績で卒業したあとコネチカットの予算局で働いていました。1950年代前半に俳優の仕事に憧れ、演技の勉強をします。そして1955年にニューヨークでプロの役者になりました。

しばらくブロードウェーで活動した後1958年にWind Across the Evergladesで映画デビュー、1960年のMurder Inc. 1961年のPocketful of Miracles で2年連続してアカデミー賞の助演賞にノミネートされました。そして1962年にThe Price of Tomatoesでエミー賞獲得。彼の演技は確実に評価されていきました。

大ヒットTVシリーズ「刑事コロンボ」の第一作は1968年のPrescription Murder(殺人処方箋)です。日本では1972年に放送されました。

通常のミステリーでは最初に犯行が呈示されるものの犯人は映されず、謎のまま物語は進行して、最後の最後で名探偵が犯人を指摘する、というのが王道とされています。しかしこの「刑事コロンボ」シリーズでは、逆に最初に犯人側の映像を流してしまい、逆にそこから探偵が犯人に迫っていく様子を、犯人・探偵両側から描いていくという大胆な手法が取られています。そしてその過程で、完璧のように見えていた犯人のトリックが崩れていくのが見所となっています。

またよれよれのレインコートを着た、いかにもうだつがあがらないような風体、「あ、それからもうひとつ」「うちのかみさんがね」などといった多発する決まり文句に、このシリーズは非常に高い人気を得ました。

ただし最初の作品は単発で終わっており、第二作が作られたのはなんと3年後の1971年です。ですから実際に人気が高まったのはその2作目Ransom for a Dead Man(死者の身代金)以降なのかも知れません。その後は1977年までNBCの Sunday Mystery Movieの枠で、だいたい3〜4週に1度のペースで制作されています。(その後も散発的に制作されている)

「死の方程式」「ロンドンの傘」「溶ける糸」「別れのワイン」「意識の下の映像」「逆転の構図」「祝砲の挽歌」「さらば提督」などなど、タイトルを聞いただけでストーリーを思い出される方も多いのではないでしょうか。

なおコロンボのセリフの中にだけ登場し、一度も画面には登場しなかった「うちのかみさん」ですが、作中ではなくピーター・フォークの現実の生活のほうでは、彼は1960年に最初の妻 Alice Mayo と結婚していますが1976年に離婚。この時は日本の新聞は「コロンボ、うちのかみさんと離婚」などと報道しました。その後1977年にShera Daneseと再婚。子供はAliceとの結婚時代に養女にした子が2人います。

なおピーターフォークのコロンボシリーズ以外の作品では彼が一転して泥棒役を演じた1978年の「ブリンクス(The Brink's Job)」、ホームズ・ポアロなど5人の名探偵がディナーに招かれた中で殺人が起きるという1976年「名探偵登場(Murder by Death)」などが有名です。


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