1930年8月25日、スコットランドの首都エジンバラで、007役で知られる俳優のショーン・コネリー(Thomas Sean Connery)が生まれました。
お父さんはトラックの運転手。ショーンは学校卒業後まず海軍に入りますが病気になって除隊。その後、日雇い労働者・海水浴場の監視人・美術学校のモデルなどを経て、1953年、ミスター・ユニバースのスコットランド大会で3位に入賞。これが契機となってミュージカル「南太平洋」のイギリス公演でのコーラス隊の一員に起用されます。
この後1955年映画「Let's Make Up」にエキストラとして出演したのを皮切りに幾つかの映画・TVで端役を演じ、1957年「No Road Back」で初めて名前の付いた役をもらって、翌年「Another Time, Another Place」でラナ・ターナーの相手役に大抜擢。そして更に幾つかの映画を経て1962年ブロッコリ制作の007シリーズ第1作「Dr. No」でジェームズ・ボンド役に起用されました。
この後ジェームズ・ボンドとしてこのシリーズの次の作品に出演しました。
第1作 1962 Dr. No ドクター・ノー(007は殺しの番号)第2作 1963 From Russia with Love ロシアより愛をこめて(007危機一発)第3作 1964 Goldfinger ゴールドフィンガー第4作 1965 Thunderball サンダーボール作戦第5作 1967 You Only Live Twice 007は二度死ぬ第7作 1971 Diamonds Are Forever ダイヤモンドは永遠に
日本で撮影した作品「007は二度死ぬ」の後、ショーン・コネリーは自分のイメージがボンドで固定されてしまうのを嫌って(ダジャレではない^^;)降りてしまいます。しかし第6作「女王陛下の007」で新しいボンドに起用されたジョージ・レーゼンビーの動きがあまりよくなかった為、後一度ということで「ダイヤモンドは永遠に」に再度ボンドとして登場しました。しかしこれでもう本当に最後にしてくれということで、第8作「死ぬのは奴らだ」以降は彼より年齢的には上でも逆に外見は若く見えるロジャー・ムーア(1927.10 .14生)にボンド役は引き継がれます。
ショーン・コネリーはこの後、1974年「オリエント急行殺人事件」、1976年「ロビンとマリアン」、1979年「メテオ」、1983年「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」などを経て、1986年に「ハイランダー」に出演し高い評価を得ます。そして1987年の「アンタッチャブル」ではアカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得しました。その後もだいたい1年に1〜2作程度のペースで映画出演をして元気なところを見せています。今年は「エントラップメント」でしょうか。