1926年12月3日、「そして誰もいなくなった」「オリエント急行の殺人」「ナイルに死す」などの名作で知られる推理作家アガサ・クリスティーが突然自宅から失踪しました。
翌日車が発見されますが、警察の捜査にも関わらず行方は分かりません。当時彼女は夫アーチボルドとの不和に加え母クララの死があって精神的に追いつめられていました。自殺の恐れもあるとして周囲も警察も緊迫した日々を送りますが、結局11日後の12月4日、HarrogateのOld Swan Hotelに、夫の愛人の名前で宿泊しているのを発見されます。
クリスティはその11日間のことを全く覚えていないと語り、記憶喪失として片づけられます。しかしファンの間でも、この事件に関しての意見は分かれるようです。
アガサ・クリスティ(Agatha Mary Clarissa Miller, 結婚後Christie,再婚後Mallowan)は1890年9月15日、イギリスのデヴォンシャー州トーキーで生まれました。
パリで少女時代を過ごし歌手を志しますが果たせず、やがて22歳の時にダンス・パーティーで Archibald Christie と知り合い、結婚。第一次世界大戦中は夫も従軍したこともあり篤志看護隊に志願して、看護助手・薬剤師としてトルコに派遣されました。この時の知識が後に推理小説で毒薬を扱う時に非常に役に立ったとのことです。
小説や詩は子供の頃から書いていたようですが、推理小説を意識するようになったのは17歳の時にガストン・ルルーの名作『黄色い部屋の秘密』を読んでからとのことです。そしてその最初のミステリー作品『スタイルズ荘の怪事件』を書いたのは26歳の時でした。
この作品で登場した名探偵エルキュール・ポアロは真相を解明するために、とんでもない手段を使います。この斬新なアイデアを盛り込んだ名作は、しかし当時いくつもの出版社に持ち込んだものの出してもらえず、やっと出版にたどりついたのは4年後1920年のことでした。
このあと幾つかの本を出したあと、1926年『アクロイド殺し』を出版。この突飛なトリックは当時フェアかアンフェアかの論争を巻き起こしたほどですが、その後色々な作家がこのトリックを模倣し、今では完全に使い古されたトリックになってしまいました。このトリックの枠組みを利用した上で更にもう一段階読者をあざむいて驚かせてくれたのは横溝正史の『蝶々殺人事件』でした。
この1926年、母の死と失踪事件があります。そして二人は2年後離婚します。そして更に2年後アガサは考古学者Max Mallowanと知り合い再婚しました。
4年後の1934年またとんでもないトリックを使った作品『オリエント急行の殺人』が発表されました。列車というものは色々な人が出入りするので密室にはなりにくいのですが、それを見事に密室殺人の舞台として使い、そして彼女が用意した真相はほんとうに意外なものでした。
1936年にはまたまた奇抜な構成の『ABC殺人事件』が出版されます。ミステリーというのは基本的には犯人と探偵の対決と作者と読者の対決が存在するのですが、この作品は『アクロイド殺し』と同じく、読者をだますことに主眼の置かれた作品です。そしてこの作品ではエルキュール・ポアロの名前の秘密が明かされています。
翌年発表された『ナイルに死す』はその後映画化されたもの(主演ピーター・ユスチノフ)が非常によい出来でTVのロードショーでもすっかりおなじみになって何度も何度も放映されています。ミステリーの映画化は一般につまらないものが多いのですが、これは名作だと思います。
そして1939年。最大の傑作ともいうべき『そして誰もいなくなった』が出版されました。マザーグースの歌に合わせて1人、また1人と殺されていく。そして誰もいなくなった。警察が捜査するが全員他殺と判定される。この中に犯人がいたはずなのに。。。。映画では2人助けていましたが、この作品は全員殺される故に素晴らしいのだと思います。
アガサ・クリスティは1976年1月12日、亡くなりました。1971年には女準男爵(Dame Commander of British Empire)に叙せられていました。アガサの死の翌年、夫マックスの回顧録が出版されますが、その14歳年下のマックスも1978年後を追うように亡くなってしまいました。