「異邦人(L'etranger)」で知られるフランスの作家アルベール・カミュ(Albert Camus)は1913年11月7日アルジェリアのMondoviで生まれました。生まれてまもなくお父さんが第一次世界大戦で亡くなり、一家はBelcourtに移動します。ここで通った小学校の先生が彼の才能を見出し、たくさん勉強するように進めて、彼の能力をどんどん開発させていきました。そして順調に高校を卒業するとアルジェリア大学に進学。ここで彼は結核を患い、一時期休学しますが、その後無事復学し、哲学の学位を取得しています。
彼の家は貧乏でしたので高校・大学と学ぶのには奨学金をもらっていますがそれだけでは足りずに彼は様々なバイトをしています。そんな中で彼は自然と左翼系の人たちと知り合い、進歩的な劇団での活動などもしています。彼は大学在学中の1934年に一度結婚していますがすぐに離婚しています。
学校を出た後は1938年に左翼系の新聞社Alger-Republicainに務め記者として活躍しますが、1940年にイスラムのことを書いた記事が問題とされ失職。彼はフランスに渡ってレジスタンスに参加。地下新聞Combatの記者となります。
そんな激動の時代に彼はやはりレジスタンスに参加していたジャン・ポール・サルトル(Jean Paul Sartre,1905-1980)と出会い大いに刺激を受けます。彼の代表作となる「異邦人」を書いたのもこの時期です。(初稿は1941年。正規に出版されたのは戦後の1946年)
この戦時中から戦後間もない頃に掛けて彼の文学活動はひじょうに活発化しており、下記のような作品が生まれています。
1941 異邦人(L'etranger)1942 カリグラ(Caligula)1942 シジフォスの神話(Le Mythe de Sisyphe)1946 ペスト(La Peste)1947 正義の人々(Les Justes)
彼は1947年にCombatを辞めフリーになります。その後発表した1951年の「反抗的人間(L'Homme Revolte)」は長年の親友であったサルトルとの激しい論争に発展しました。それがやっと落ち着いた頃に発表されたのが1956年の「転落(La Chute)」です。
1957年ノーベル文学賞受賞。なおサルトルも1964年にノーベル文学賞に推薦されますが彼はその受賞を拒否しています。
1960年1月4日13:55、友人が運転する暴走自動車が街路樹に激突して即死。享年46歳。早すぎる死ではありましたが、ある意味では彼らしい死に方であったのかも知れないと言う人もあります。
■異邦人(エトランジェ)Aujourd'hui, maman est morte.(今日、お母ちゃんが死んだ)という書き出しがあまりにも有名な作品。その母の死の翌日、主人公ムルソー(Meursault)は海岸に出かけて女性を誘い一緒に映画を見に行き夜も共にする。しかし彼は友人関係のいざこざに巻き込まれ、友人を助けようとして誤って喧嘩の相手のアラブ人を殺してしまう。裁判に掛けられた彼は潔く罪を認めるが、弁護士や検察官が彼の心の内面に踏み込んできて、あれこれ議論することに耐えられない。挙げ句の果てに、彼は反省の色が無いとされ、死刑の判決が出てしまう。彼の行動や発言は「常識ある人々」からは異常なものとみなされ、彼は冷酷無比な人物とレッテルを貼られてしまった。しかし本当に彼はそれほど人と違った存在だったのだろうか。処刑を前にして彼を「悔い改めさせよう」とする司祭の言葉も彼にとっては不愉快極まるものであった。彼は司祭と大喧嘩して、追い出してしまう。そして処刑の時が近づく中、彼は突然母の死の直前のことを思い出し、母は幸せな死に方をしたんだなという事に気付き、また彼も不思議な幸福感に包まれる。
※済みません。実はこの本最初の方でギブアップ(心理的に読むに耐えられなくなった)したので、それ以降の部分は様々な書評を参考に組み立てたものです。ひょっとしたら少し外しているかも知れません。読んだのは18歳頃だったと思いますが、主人公の心のナイーブさが、古い青春ドラマなどを見ている感じで痛々しくて、涙が出てきて我慢できなくなってしまいました。