「暴君ネロ」と通称される第5代ローマ皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus)はAD37年12月15日、アンチオに生まれました。 Marcus Vipsanius Agrippa ‖ ○ ‖――――――――Aggippina ‖――Julia ‖ (1)Augustus ‖ +―(3)Caligula ‖ ‖ | Livia Drusus ‖―――+ Gnaeus Domitius Ahenobarbus ‖ ‖ | ‖ ‖ +(2)Tiberius ‖ | ‖―――(5)Nero ‖ | ‖ +―Agrippina ‖―+ +Germanicus ‖ ‖ +Nero Claudius Drusus | ‖ ‖ ‖――+ ‖ Tiberius Claudis Nero ‖ | ‖ ○ +―――――(4)Claudius 父はGnaeus Domitius Ahenobarbus、母は初代皇帝アウグスツス(オクタヴィアヌス)の曾孫で3代皇帝カリグラの妹アグリピーナ。このアグリピーナは母と同名ですがみんなから尊敬された母とは違い、とんでもない人でした。
悪魔的な魅力を持っていたようで、クラウディス帝は姪にあたる彼女と結婚するために王妃メッサリナを処刑して、アグリピーナと結婚しました。しかしアグリピーナは王妃の座に納まると自分の息子のネロを皇帝にしたくなり次々とライバルを殺害、最後は夫のクラウディス帝まで殺害して、ネロを皇帝の座に就けます(AD54)。
ネロは皇帝就任当初は自分の師匠でもある哲学者セネカを相談役にして、かなり善政をおこなっています。しかしその母親譲りの凶暴性は次第に出てきました。まずAD59に母アグリピーナを殺害、ついでAD62年には妃のオクタヴィアを殺害、AD65年には師匠のセネカも殺害して、自分の好きなように政治を行い、暴虐の限りを尽くしています。
中でも有名なAD64年のローマの大火は確証はありませんがネロ自身が部下に命じて都のあちこちに放火して回ったものと噂されています。しかも彼はその火事をキリスト教徒による犯行であるとして、キリスト教徒の弾圧をおこなっています。
あまりの暴君ぶりにAD65年には一度皇帝降ろしの運動が起きますが挫折。結局AD68年にローマ全土に皇帝打倒の声が広がり、全く味方がなくなってしまったところで同年6月9日自殺。ローマにとって悪夢の10年は終わりました。
聖書の黙示録には「666」の数字を付けた獣が登場しますが、この666はヘブライの数秘学的に解釈するとネロを指していると読むことができることが知られています。
なお、ネロの後任の皇帝には初めてアウグスツスの血縁以外から Servius Sulpicius Galba が推されて就任しますが、政治能力無しと判断されて1年で降板、そのあとヴェスパシアヌス(Vespasianus)が軍の支持により就任して、そこからしばらくフラヴィウス家の皇帝の時代が続いてローマ帝国は第二期黄金時代を迎えます。