現代でも記号論理学の教科書として使用されている「数学原論」の共著者のひとりである哲学者アルフレッド・ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead)は、1861年2月15日、イギリスのケント地方ラムズゲイトで生まれました。おじいさんのThomas Whiteheadは当地の有名男子校・チャタムハウス校の創立者です。
アルフレッドは優秀な成績で著名パブリックスクールを卒業、ケンブリッジ大学のトリニティ校を優秀な成績で卒業して、同校の教官となり1910年までここで数学を教えていました。
「数学原論(Principia Mathematica)」は、1910年から1913年に掛けて、バートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872-1970)と共同で執筆したものですが、本格的に数学基礎論が興隆してくる直前の古典的な論理学の世界を美しくまとめた好著です。
この本を大学の哲学の講義で習った人もけっこうおられるのではないでしょうか。この本で著されている論理学の世界は「古典的な時代」の論理学ではありますが、現代の数学基礎論で「古典論理学」と呼ばれているものとは少し違い、むしろ新しい「直観論理学」の世界に通じるものがあります。そういう考え方は、ホワイトヘッドの後の哲学の世界にも影響を与えているのではないかと思われます。
1910年、ホワイトヘッドは事件を起こした同僚の処分を巡る抗議でケンブリッジ大学を辞め、ロンドン大学に移りました。世の中は第一次世界大戦で騒然としていて、ホワイトヘッドの2人の息子の内1人がこの戦争で戦死しています。また、数学原論の共著者・ラッセルはこの時期、反戦運動でしばしば投獄されていました。
1924年、ホワイトヘッドはアメリカのハーバード大学に招かれ、なんと哲学の教授に就任しました。イギリス時代の彼の活動はあくまで数学が中心で哲学の研究は副次的なものだったのですが、アメリカに来てからは哲学者として活躍することになります。
ホワイトヘッドは科学者らしい研究態度で、相対性理論など当時の最新の科学の結果を冷静に受け止めた上で、彼の世界観・宇宙観を追究していっています。彼の思想は「有機体哲学」「プロセス哲学」などとも言われていますが、世界を「もの」の集まりと考えるのではなく「事象」のステージと考える立場にたっています。
また彼は基本的には有神論の立場ですが、彼がいう「神」はキリスト教などにみられる絶対神とは性格が異なっており、宇宙という具体の根源として神をとらえていて、ある意味では、仏教などの東洋系の思想に近いのではという意見もあります。
彼は哲学の探究には多くの人との意見交換が必要であると考え、また特に若い人たちの考え方と親しむことは重要であると考えていました。このため毎週日曜の午後には自宅を開放して、多数の学生との交流をしていました。
彼は1937年に大学の教官は引退しましたが、その後もアメリカにとどまって死ぬまで哲学の探究を続け、1947年12月30日、アメリカのケンブリッジで死去しました。故人の遺志で葬式は執り行われず遺体は火葬に付されました。