チャイコフスキー(1940-1983)
作曲家のチャイコフスキー(Петр Ильич Чайковский,
ペーテル・イリイチ・チャイコフキー)は1840年5月7日、ウラル地方の
ボトキンスク(Воткинск)という町に生まれました。お父さんは
鉱山の技術者でした。
小さい頃から音楽の才能を示していましたが、はじめは親の希望もあって役人
を志し法務省につとめていました。しかし音楽への情熱は抑えきれず22歳に
なった1862年に役所を退職してペテルブルグの音楽院に入学。ここを主席で
卒業したあと1865年にはモスクワ音楽院に教師として移籍。この年、最初の
交響曲「交響曲第一番」を作曲しました。
その後、モスクワで「交響曲第二番」や「ロミオとジュリエット」、そして
名曲中の名曲のひとつである「ピアノ協奏曲第一番」などを作曲しています。
「ミドシラ・ミドシラ・ミドシラソラシシド」という、ピアニストが鍵盤に
指を全力で叩き付けるかのような緊張感あふれる強烈なイントロの後、一転
して「ソミレ・ドミーレファーミシド・ラレーミラ」といったロマンティック
で明るいメロディーラインが続いていくこの曲は、多くのピアニストたちの
名演で有名ですが、日本ではずっと以前に、中村紘子さんがカレーのCMで
弾いていたのを記憶している人も多いでしょう。
チャイコフスキーは1877年にアントニーナという女性から熱烈な求愛を受けて
結婚。しかしこの結婚生活は両者の性格の違いから4年で終止符を打つことに
なります。その後はあまり演奏旅行などで遠出することが少なくなり創作活動
に専念するようになったといいます。
チャイコフスキーはまたバレエ用の音楽にも優秀な作品を残しています。最初
の作品は1875年の「白鳥の湖」ですが、この作品は公演が大失敗であったため、
ショックを受けた彼はその後ずっとバレエ作品を書きませんでした。しかし
その「大失敗作」を蘇らせて現代につながる名作に変えてしまったのがバレエ
史上に輝かしい名前を残す天才振付師マリウス・プティパでした。
プティパは「白鳥の湖」の初演時の失敗要因を全て改善し、十数年ぶりにこの
作品を大ヒットさせることに成功しました。そしてその勢いにのってチャイコ
フスキーに新作を書いてくれるよう熱烈に依頼、彼も心を動かされて
「眠りの森の美女(1890)」「くるみわり人形(1892)」を書き、両者ともプティパ
の演出で大成功を収めました。
1893年にチャイコフスキーは「交響曲第六番(通称:悲愴)」を完成させますが
その初演のわずか一週間後1983年11月6日、チャイコフスキーはコレラのため
急死しました。享年43歳。
(2003-05-06)
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