スーザ(1854-1932)
「マーチ王」と呼ばれるアメリカの作曲家スーザ(John Philip Sousa)は1854
年11月6日、ワシントンD.C.で生まれました。
彼について『彼は移民で John Philipso という名前だったが軍隊に入った時に
John Philoso USA と名前を書いておいたのが誰かに John Philip Sousaと誤読
されてしまい、それをその後自分の名前として使った』という俗説があるのです
が、これは完全にウソだそうです。彼の父はスペイン生まれのポルトガル人で、
Sousaというのはポルトガルでは比較的ポビュラーな苗字であるとのこと。なお
母はドイツのバイエルンの出身です。
彼の父はワシントン海兵隊楽団(*1)でトロンボーンを吹いており、ジョンも
幼い頃から音楽、特にブラスバンドに親しんでいました。6歳の頃から正式に
音楽の勉強を始め、声楽・バイオリン・ピアノ・フルートに多数の金管楽器を
習います。楽器の楽しさを覚えた少年はしばしばサーカスの楽団に紛れ込んで
演奏に参加していました。それを見た父は彼を13歳の時に自分の所属する
ワンシントン海兵隊楽団に紹介しメンバーに加えてもらいました。
(*1)1798年に創設された歴史のある音楽隊で第三代大統領ジェファーソン
の就任式で演奏して、大統領直属の称号をうける。
彼はそれから5年間そこにいたのですが、1872年(1875説も)に楽団をやめて、
各地のオーケストラやブラスバンドに参加してまわります。この当時ブロード
ウェイにも進出しW.S.ギルバートとアーサー・サリヴァンの「ピナフォーレ」
の演奏を担当します。この時に彼はJane Bellisに出会い、1879年12月に二人は
結婚しました。
1880年にワシントンD.C.に呼ばれてワシントン海兵隊楽団の指揮者に任命さ
れます。彼はここで12年間務め、その間に有名なワシントンポスト(1889, The
Wahington Post)や雷神(1889,The Thunderer)を始め十字軍戦士(1888, The
Crusader),ギルバート&サリヴァンでもおなじみのミカド(1885,Mikado March)
などを書きました。
1892年にはDavid Blakelyに「自分がプロデュースするから独立しないか」と
誘われ海兵隊楽団を辞します。そして「スーザ新海兵隊楽団」を結成するのです
が、さすがにこの名前はクレームが付いて普通に「スーザ楽団」という名前に
しました。この楽団の初演は1892年9月26日ですが、その2日前にパトリック・
ギルモアが死去。その主を失った楽団のメンバーが急遽参加してくれて、その
中から19人もスーザの楽団にそのまま合流することになります。
彼はブレイクリーのプロモーションで4年間演奏活動を続けますが、1896年
休暇中にそのブレイクリーが急死しました。彼は訃報を聞いて慌てて駆けつけ
ますが、その旅路の途中で突然頭に浮かんだメロディーが「星条旗を永遠なれ
(The Stars and Stripes Forever)」でした。この曲は現在はアメリカの第二の
国歌とまで言われています。
彼はその後も精力的にブラスバンド曲を書き、何度も海外ツアーを敢行してい
ます。特に1910年のツアーは南アフリカ・オーストラリア・ハワイなどまで
含む大規模のものでした。このようなツアーは彼が死ぬまで続けられました。
彼は「スーザフォン」の発明者としても有名です。ブラスバンドの行進を見た
ことのある方は、大きな丸い金管楽器を演奏しながら肩の所であるとか頭の上
でグルグル回したりするパフォーマンスを見たことがあるのではないかと思い
ます。あれがスーザフォンで、楽器の系統的にはチューバの系統に分類して
いいのではないかと思います。なぜグルグル回すかというと....格好いいから
ですね、たぶん(^^)
彼はEl Capitanのようなオペレッタも手がけていますが、彼の作品の主力は
やはり行進曲でしょう。彼が生涯に手がけた行進曲は130曲に及び、まさに
マーチ王の名前にふさわしい活動をしています。
1932年3月(March!)6日ペンシルバニアにて死去。享年77歳。死の数分前まで
演奏をしており、彼が最後に指揮した曲は「星条旗よ永遠なれ」でした。
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