パメラ・スミス(1878-1951)

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1878年2月16日、世界で最も多くの愛用者がいるタロット「ライダー版」の絵を描いた画家、パメラ・コールマン・スミス(Pamela Colman Smith)がイギリスのミドルセックス州ピムリコで生まれました。

父はアメリカの商人で、スミスは父の姓、コールマンは母の姓です。一家はしばしばアメリカやジャマイカとイギリスを往復していましたので、パメラについてもジャマイカで生まれたのではないかとの説もあります。

父の家系に画家がおり、母の家系にオカルトに強い人がいました。その母が小さい頃に亡くなったため、パメラは一時期女優のエレン・テリーの家で暮らしており、そこで演劇の世界に触れ、特に舞台美術や衣装に興味を持ちました。また父が浮世絵のコレクションをしていました。こうして彼女は幼い頃からジャマイカの民俗、浮世絵、演劇、オカルトなどの世界にふんだんに触れていました。

(彼女の絵に特に舞台の影響は強く、ライダー版の絵にも舞台の書き割りのような背景がよく使われています)

1893年にアメリカのブルックリンの絵画学校に入りますが、彼女を指導したアーサー・ウェズリー・ドウは「絵画は調和的で音楽的であるべき」という持論でした。彼女のその後の作品はまさにその路線で制作されています。

1896年には父と共にジャマイカに長期滞在。ここで彼女は初めての作品「ジャマイカの2つのネグロの物語」を発表しました。そしてそれを皮切りにイラストレータとしての活動を開始し、主として版画やクリスマスカードのようなものを制作したり、また本の挿し絵などを盛んに描いています。

1899年には父と共にイギリスに戻りますが、そのイラストレーターとしての活動を通して、ノーベル賞詩人でオカルティストでもあるウィリアム・バトラー・イェーツ(1865-1939)に出会いました。

友人への手紙などによれば彼女はウィリアムを嫌っていたようですが、熱心な勧誘に負けて、彼が所属していた魔術結社ゴールデン・ドーン(黄金の暁)に連れて行かれます。そして商業出版との付き合いに疲れ始めていた彼女はこの結社にのめり込んでいきました。

魔術の世界は彼女の深層心理の扉を開き、この時期から彼女は音楽を聴きながら、そこに浮かんできたイメージをキャンバスに描き留めるという作業を始めます。彼女は「絵を掘り出す」タイプの画家であったようで、イメージが浮かんだら素早く描いてしまわないと「いったん筆を止めてしまうと、そこにあったイメージが消えてしまって」もう続きが描けなくなる、と言っています。そういう特殊な才能の持ち主であったようです。夏目漱石の「運慶」で、運慶が木の中から仁王像を掘り出しているといった話が出てきますが、まさにその世界です。

1909年、彼女はこの魔術結社の主要メンバーであるアーサー・エドワード・ウェイトからタロットの制作を依頼されました。

タロットは22枚の大アルカナと呼ばれるカードと56枚の小アルカナと呼ばれるカードから成っています。それまで巷で使われていた多くのタロットでは、大アルカナには1枚1枚絵が描かれていましたが小アルカナの方はトランプと同様にシンボルが個数分描かれているだけの数札でした。しかしウェイトの注文はこの78枚全てに絵を描くことでした。

ゴールデンドーンではタロットの研究をしていて、各々のカードが占星術における天空の特定のエリアと対応していることを見いだしていました。そこで、この制作においてウェイトはスミスにその特定のエリアのことを頭の中に思い浮かべるよう指示し、そしてそこで湧いてきたイメージを絵として描くことを命じました。その際、大アルカナについてはウェイトはかなり厳しい指示をしていますが、小アルカナについては、スミスの自由に任せたといわれます。従って、この「ライダー版」の大アルカナは主としてウェイト、小アルカナについては主としてスミスに由来すると考えてよいと思われます。

(このタロットは当初ライダー社から出版されたため「ライダー版」或いは「ライダー・ウェイト」と呼ばれています。版権は現在 U.S.Games が管理していますが、類似のタロットが多くの出版社から発行されています)

ウェイトは後にこう書いています。

  我々は1910年、タロットを使った楽しい実験をした。スミスという非常に創造性豊かで霊感もあるアーチストがいた。彼女は儀式が好きだったが、素直で変に教理や儀式の裏を読もうとしなかった。

  私はタロットのシンボルは神秘的な夢の中に見える視覚的世界への扉を開けるものと考えていた。だからスミスが私や他の団員の心に漂うイメージを不用意に拾い上げたりしないように気を付けた。純粋に女教皇とか愚者とか吊され人のイメージを取り込んで欲しかったのである。』

彼女は若い頃から何度も個展を開いたりして名前は売れていたのですが、なぜかいつもお金に困っていました。何度か会社を始めたりしていますがその度に人にだまされたり、お金を持ち逃げされたりして、行き詰まっています。彼女の才能は絵だけに集中していたのでしょう。そしてお金に困っていても赤十字などの慈善事業に協力して、依頼された絵を真面目に全部自分で描いて納品したりしています。彼女はどんなに苦しくても決して自分の才能を疑いませんでしたし、絵描きとしての仕事を精力的に続けました。

1948年には王立美術協会(Royal Society of Arts)の会員になっています。

そして1951年9月18日死去。享年73歳。多額の借金が残されていたため彼女の資産は債権者によって競売され散逸してしまい、多くの貴重な資料が失われました。もし90年以上たった今も数百万の人々に愛されるライダー版というタロットが無かったら、ほんの数人の熱心な崇拝者を除いてパメラ・コールマン・スミスという画家は、忘れられてしまっていたかも知れません。

ライダー版を手元にお持ちの方でしたら、その大アルカナ(愚者以外)を開けてみると、どこかに彼女のサイン P.C.S. が描き込まれている筈です。


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