サティ(1866-1925)

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5月17日は「ジムノペディ」で知られる作曲家エリック・サティ(Erik AlfredLestie Satie)の誕生日(1866 at Honfleur,-1925.7.1)です。

サティは大衆の中に生きた作曲家です。パリの町の片隅に住んでいて、毎日職場としている酒場に歩いて通い、ピアノを弾いて生活の糧を得ていました。

そんな彼の才能を惜しいと思い、彼を表舞台に出してやろうと一肌脱いだのが親友のドビュッシーでした。彼は絶対うけると考えたこの「ジムノペディ」を自らオーケストラ用に編曲し、発表しました。それ故にこの曲は彼の曲の中で最も有名な曲となっています。

しかしサティは、俺はこれが似合ってるんだという感じで、相変わらず毎日酒場にピアノを弾きに行く生活を変えようとはしなかったといいます。

(ドビュッシーはあわせて彼を自分が関連していた薔薇十字カバラ教会にも勧誘しており、そこでまた多くの交友が生まれています。ユトリロの母として知られるスザンヌ・バラドンと恋愛関係にあったのもその頃のようです。)

「ジムノペディ」とは古代のお祭りの名前です。人々は酒によって大騒ぎをして、興奮して死人も随分出たような激しいお祭りです。え?だってあんなに静かな曲なのに、と思うのですが、これは実は、サティがジムノペディの様子を描いた古代の壺を見て作曲したからなのです。お祭りは騒がしいものでも、その様子を描いた古代の壺は静かにたたずんでいる。サティは皮肉屋だったのかも知れません。

サティの曲は現代のイージー・リスニングに通じるものがありますが、彼は自分の音楽を「家具のような音楽」と言っていました。人々が集まり騒いでいていろいろな音が混じっている酒場においては、人に「聴いてもらう」曲ではなく「邪魔にならず雰囲気だけ作ってくれる」曲が必要であった訳です。つまり彼の織りなす美しい調べは彼の職場故に生まれたものといえます。

サティは一部の人にはよく知られていましたが近年大きくファンが広がったのは、著作権が切れて楽譜が自由に販売できるようになったためです。それまで彼の遺族が楽譜の商業的流通を拒否していたのだそうです。

※薬師丸ひろ子や三田佳子の熱演が光る「Wの悲劇」のクライマックスにこの曲が使われていました。※北条司のコミック「シティハンター」にはこの曲のヴァイオリン版が重要な素材として使用されていました。※ドビュッシー編曲オーケストラ版「ジムノペディ」はNHKの名曲アルバムのCDで聴くことができます。


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