1826年9月17日、非ユークリッド幾何学のひとつリーマン幾何学を作り上げたリーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann)がハノーバーのBreselenzに生まれました。お父さんは聖職者でした。
「非ユークリッド幾何学」というのは次のような「平行線公理」の成り立たない空間に関する幾何学です。
「2つの直線に別の直線が交わり、その一方の側にできる2つの角の和が2直角より小さい場合、その2つの直線はそちらの側で交わる」
何が何だか分からないと思われる方も多いとおもうのですが、実はそのことが問題なのです(^^; この平行線公理はユークリッドの「原論」に見られるものですが、ユークリッドが仮定した他の公理に比べて、妙にゴチャゴチャした形をしています。そこで、古来この公理が他の公理から証明できないかと試みる人が多数ありました。
しかしそのような試みはことごとく失敗し、このことは数学上の大問題となっていました。
この問題について最初に重大な研究をしたのはGeronimo Saccheri(1667-1733)です。彼はこの平行線公理を思い切って否定し、その否定形を公理として種々の結果を導き出します。その内容は実に奇妙なものでしたので、彼はそれをもって平行線公理を否定すると矛盾が生じると結論しました。
しかしその後の研究で、Saccheriが導き出した結果は常識的に考えると奇妙ではあっても全然矛盾していないことが分かります。そこでそれをもっときちんと積極的に研究し、平行線公理の成り立たない幾何学の世界を築き上げたのがニコライ・ロバチェフスキー(1793-1856)とヤノス・ボヤイ(1802-1860)です。彼らの作り上げた幾何学は今日ロバチェフスキーの非ユークリッド幾何学と呼ばれています。
その後に出たのがこのリーマンです。彼は平行線公理を否定したものの、ロバチェフスキーらとは別の仮定を立てて、やはり非ユークリッド幾何学を構築することに成功します。これをリーマンの非ユークリッド幾何学といいます。
今日ではロバチェフスキーの幾何学は、3次元ユークリッド空間で見たら双曲面の表面に相当するところで構築された幾何学であり、リーマンの幾何学は楕円体の表面に相当するところで構築された幾何学に相当することが知られています。結果的にユークリッド幾何学が無矛盾であればロバチェフスキー幾何学やリーマン幾何学も無矛盾であることが証明できるのです。
リーマンはゲッチンゲン大学およびベルリン大学で学んだ後ゲッチンゲン大学で博士号を取り、同大で54年講師→57年助教授→59年教授とスピード出世しました。リーマン空間に関する研究は講師になった時の就任講演で発表されています。しかし教授になってからわずか3年で病気に倒れ、その後療養生活を送りますが回復せずに1866年7月20日、39歳の若さで亡くなりました。晩年は理論物理学に関しても深い研究をしています。