ロバート・ピアリー(1856-1920)

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西洋人として最初に(*1)北極点に到達したことで知られるロバート・ピアリー(Robert Edwin Peary)は1856年5月6日ペンシルヴァニア州クレソンで生まれました。大学卒業後、政府の地理関係の仕事に就き、1884〜1888年には中米のニカラグアに調査に行っていますが、この時にたまたま北極圏を訪れる機会があり、その方面に興味を持ちました。

1891年から1897年に掛けて4度にわたるグリーンランド探検をし、1898年に初めて北極に挑戦。しかし大失敗で凍傷により足の指を8本失ってしまいました。しかしそれにもめげず挑戦を続け、1906年4度目の挑戦では北極点まで280kmの地点まで到達しました。

この快挙に対して、National Geographic協会がピアリーにハバードメダルを贈り、探検のための資金を提供しました。そして彼は1908年7月同協会が用意してくれた船Roosevelt号にのり北極圏に向かい、ベースキャンプを作って、翌年2月、133頭の犬が引くそりで北極点を目指しました。

出発した時は総勢24名。しかし体調不良のため多数の隊員を途中で引き返させます。そしてとうとう1909年4月6日、ピアリーとMatthew Henson、そして4名のエスキモーの計6名が北極点に到達しました。

彼がこの探検から凱旋してきた時、アメリカ国中が大騒ぎになりますが、その時、彼の元仲間でグリーンランド探検を一緒にやっていた Frederick Cookが「自分は彼の1年前、1908年4月21に北極点に到達している」と主張しました。調査委員会が設置され、クックの主張が調べられましたが、委員会は結局クックの訴えを退け、ピアリーを最初の北極点到達者と認定しました。

そこであらためてピアリーは国会で表彰され、海軍少将の地位を与えられました。その後彼は飛行機に興味を持ち、飛行機による沿岸警備の仕事をしています。1920年没。

---------------(*1)彼はあくまで西洋人として最初に北極に到達した訳であり、この領域には昔から多数のエスキモーが活動している。なおピアリーとヘンソンは北極圏滞在中に現地の女性と結婚して、子供ももうけていたらしい。


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