1850年8月5日「女の一生(Une Vie)」で知られる小説家・詩人・劇作家・旅行作家のモーパッサン(Henri Rene Albert Guy de Maupassant)がノルマンジーのディエップで生まれました。
裕福な家庭に生まれ、かなり贅沢な少年時代を送ったようです。11歳の時に両親が離婚。寄宿学校に入ります。卒業後軍隊に入り、普仏戦争(1870-1871)に従軍。終戦後海軍省に8年間勤めました。
その後短編『脂肪の塊(Boule de suif)』(1880)で作家デビュー。普仏戦争を背景にした作品です。彼はこれから1991年までの間になんと300作もの短編と下記の作品を産み出しています。
1881 テリエ舘(La Maison Tellier)1882 マドモアゼル・フィフィ(Mademoiselle Fifi)1883 女の一生(Une Vie)1884 太陽の下へ(Au Soleil, 紀行文)1885 ベラミ(Bel Ami)1887 モントリオール(Mont-Oriol), オルラ(Le Horla)1888 ピエールとジャン(Pierre et Jean), 水の上(Sur l'eau, 紀行文)1889 死の如く強し(Fort comme la Mort)1890 我らの心(Notre Coeur), 放浪生活(La Vie Errante, 紀行文)
彼に大きな影響を与えたのは母の知人のフロベール(Gustave Flaubert)だとされます。モーパッサンの祖父がフロベールの名付け親にもなっています。
フロベールはモーパッサンをパリの文学サークルに連れて行き、ここでゾラのほか、ドーデ、ゴンクール兄弟などと知り合っています。
1880年代前半にハイペースで作品を書いていたモーパッサンでしたが1886年ころから急速に著作のスピードが落ちます。彼はどうもこのころから次第に精神に変調をきたしていたようです。1891年にはかなり深刻な発作が訪れ、病院のお世話になるようになります。そして1892年には自殺未遂を起こし、結局精神状態が回復しないまま1893年7月6日亡くなりました。享年42歳。
■女の一生
上流階級の娘ジャンヌの生涯を描いた作品ですが、夫や息子のいい加減さに実に翻弄される姿が淡々と描かれています。男運の悪い女という見方もあるかも知れませんが、昔はこんな男が多かったと思います。
一種のメロドラマですが、スピードのある文体が、ジャンヌの苦悩をオブラートに包むような効果を出しており、読んでいる側にそんなにストレスはありません。
ジャンヌは修道院で育ったため男性に対する免疫が全くありません。性のことなど誰も教えてくれてなかったし、結婚して初めて男の間近に寄ることになるので初夜など当然うまくいきません。
それが新婚旅行の間に次第に男性と触れ合うことの悦びを感じていく描写はセックスシーンなど全く描かれていないのに、ものすごくエッチです。
戦前の男子学生で、この本を読むとエッチのことが分かるぞ、と先輩から教えられて熱心に読んだ人は多かったといいます。これは確かにその年代の少年にとって、セックスの肉体面の快感ではなく、精神面の快感を疑似体験させてくれる本でしょう。もっとも読んでもさっぱり分からなかった、という男子学生が多かったらしいですが。