ヘルツ(1857-1894)

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周波数の単位に名を残すヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)は1857年2月22日にハンブルグで生まれました。4人兄弟の一番上で、弟のGustav Hertzの子供のGustav Ludwig Hertzは後にやはり物理学者になりノーベル賞を取っています。

ハンイリッヒはハンブルグ大学で科学と外国語(アラビア語とサンスクリット!)を学んだ後、キルヒホッフ(1824-1887)とヘルムホルツ(1821-1894)という2人の偉大な物理学者に師事します。1880年に博士号を取得。キール大学の講師を経て、1885年にカールスルーエ大学の正教授になります。

その後彼は主として電磁気学を中心に数々の業績を残しました。

■電磁波の発見

電磁波はマクスウェルとファラデーがその存在を予言していましたがヘルツは 1886年にアンテナを開発し、翌年これを使用してアンテナにつないだコイルで 変化する電流を発生させ、数メートル離れた場所に置いた環状の受信機に電流 が流れるの確認して、電磁気が空間を伝わることを確認しました。 通常の波は何か媒体があって伝わるのですが、電磁波の伝わり方は全く異なり ます。電流の周りにはアンペールの「右ネジの法則」により磁場が発生します。 この磁場が変動するとファラデーの「電磁誘導の法則」により電圧が生じます。 ですから電流の変動があれば磁場の変動が誘発され、そこから電圧が生まれて というのを繰り返し、電場と磁場は相互誘発しながら伝搬していく事になります。 つまり電磁波は何の媒体も無しに空間を伝わることができるのです。 ヘルツは電磁波が物体にぶつかると反射されることや、その速度が光速度に等しい ことなどを見出しました。

■光電効果の発見

1887年、彼は金属板に紫外線を当てると電荷が失われることを発見しました。 これは上記の電磁波の実験の副産物として得られたものです。 光電効果は現在のテレビカメラやデジカメの原理です。 ■気象学への貢献 彼は電磁波関連の研究と平行して気象学に関しても様々な研究を行っており 新型の湿度計などを発明しています。 ■陰極線の研究 当時陰極線の正体が何かというのが問題になっていましたが、彼は実験により 何かの物質のビームであるとすれば起きるはずの現象が現れないとして、これは 恐らく電磁波であるという説を提出しました。 今日では陰極線は電磁波ではなく電子のビームであることが分かっている訳ですが 当時は真空を作る技術が貧弱であったための実験の誤りであると考えられています。

ヘルツは1892年に骨腫瘍を患い、厳しい闘病生活を送ることになります。手術を受けたりもしていますが治癒せず、1894年1月1日、敗血症により死去。享年36歳。あまりにも早すぎる死でした。

周波数の単位「ヘルツ」は1960年に国際度量衡総会で採択されました。日本では以前は周波数の単位は「サイクル」と呼ばれていましたが、1972年からヘルツの名前に切り替えられました。


(2007-02-22)

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