人物-西洋近代

このページは、西洋のフランス革命から第二次世界大戦前までの時代(概ね1776〜1945年頃)に活躍した人物についての情報を集めます。


■Topics
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メルカダンテ(1795-1870)
ホルスト(1874-1934)


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↑ ガーシュウィン(1898-1937)
アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)は1898年9月26日、
ブルックリンに生まれました。お兄さんの Ira Gershwin (1896-1983) は作詩家
として知られ、ジョージと組んで曲を制作したりしています。また妹のFrances
Gershwin(1906-1999)は歌手として活動しました。

ジョージたちのお祖父さん Jakov Gershowitz はロシア軍の技術者で、息子の
Moishe Gershowitz は靴職人をしていましたが、婚約者の Rosa Bruskin の一家
がアメリカに移住したため、彼女を追って自分もアメリカに渡り、ふたりは結婚
しました。この結婚前後の頃に、苗字を Gershwin と改め、名前の方も Moisheは
Morris, Rosa も Rose とアメリカ風に改めています。そして1896年にアイラ、
1898年にジョージ、1900年にアーサー、1906年にフランシスという3人の男の子、
1人の女の子を授かりました。

ジョージはホッケーが大好きな元気な男の子で、学校の勉強などもマジメにせず、
遊びと喧嘩に明け暮れる少年時代を過ごします。当時は音楽なんて「軟弱者の
すること」などと言って馬鹿にしていたといいます。

ところがある日、街角で1台の自動演奏ピアノが、ルービンシュタインの
「Melody in F」(ピアノ曲「Two Melodies Op.3」第1番)を演奏しているのを
見て、ジョージはそれに魅せられてしまいます。

そこから彼はピアノを猛練習し、やがて学校も辞めて、Jerome H. Remick and 
Company という楽譜出版社に就職、そこのピアニストとなります。その後、
劇場ピアニストなどを経て、1919年に名曲「スワニー(Swanee)」が有名歌手
Al Jolson によりヒット。彼は作曲家としての道を歩み始めました。

その後1924年には代表作とも言える「ラプソディー・イン・ブルー(Rhapsody
 in Blue」がヒットしますが、この活躍を目にして、ニューヨーク交響楽団の
音楽監督、Walter Damroschが、「ピアノ協奏曲(piano cocerto)を書いてくれ
ませんか?」と依頼してきました。彼はふたつ返事で引き受けたのですが・・・・

この時、実はジョージは「協奏曲(concerto)」という言葉を知らず、密かに
辞書で調べたという伝説があります。

彼はポピュラーピアニストとして活動してきており、クラシックの素養を持って
いません。それ以前の作品のオーケストレーションは、全部アレンジャーの人に
丸投げしていました。

しかし協奏曲(ピアノとオーケストラのための音楽)を書くのに管弦楽部分を
丸投げする訳にはいかず、自分で書かざるを得ません。そこで彼はオーケストラ
で使用する楽器を演奏できる人を自分で雇い、それぞれの楽器の特性を確認し
ながら、この曲を書き上げました。

これが名曲『ヘ調の協奏曲(Concerto in F)』です。

彼はこの曲をきっかけにクラシック音楽にも関わるようになり、1928年にヨー
ロッパを旅してきて『パリのアメリカ人(An American in Paris)』を書いたり、
その後、『Blue Monday』『Porgy and Bess』などのオペラも書いています。
特に『Porgy and Bess』の興行的な成功は、オペラ作曲家としてのガーシュウィン
の名前も高めることとなりました。

1937年7月11日、脳腫瘍のため死去。38歳という若すぎる死でした。


(2013-09-25)

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