ガーシュウィン(1898-1937)

↑

アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)は1898年9月26日、ブルックリンに生まれました。お兄さんの Ira Gershwin (1896-1983) は作詩家として知られ、ジョージと組んで曲を制作したりしています。また妹のFrances Gershwin(1906-1999)は歌手として活動しました。

ジョージたちのお祖父さん Jakov Gershowitz はロシア軍の技術者で、息子のMoishe Gershowitz は靴職人をしていましたが、婚約者の Rosa Bruskin の一家がアメリカに移住したため、彼女を追って自分もアメリカに渡り、ふたりは結婚しました。この結婚前後の頃に、苗字を Gershwin と改め、名前の方も Moisheは Morris, Rosa も Rose とアメリカ風に改めています。そして1896年にアイラ、1898年にジョージ、1900年にアーサー、1906年にフランシスという3人の男の子、1人の女の子を授かりました。

ジョージはホッケーが大好きな元気な男の子で、学校の勉強などもマジメにせず、遊びと喧嘩に明け暮れる少年時代を過ごします。当時は音楽なんて「軟弱者のすること」などと言って馬鹿にしていたといいます。ところがある日、街角で1台の自動演奏ピアノが、ルービンシュタインの「Melody in F」(ピアノ曲「Two Melodies Op.3」第1番)を演奏しているのを見て、ジョージはそれに魅せられてしまいます。

そこから彼はピアノを猛練習し、やがて学校も辞めて、Jerome H. Remick and Company という楽譜出版社に就職、そこのピアニストとなります。その後、劇場ピアニストなどを経て、1919年に名曲「スワニー(Swanee)」が有名歌手Al Jolson によりヒット。彼は作曲家としての道を歩み始めました。

その後1924年には代表作とも言える「ラプソディー・イン・ブルー(Rhapsody in Blue」がヒットしますが、この活躍を目にして、ニューヨーク交響楽団の音楽監督、Walter Damroschが、「ピアノ協奏曲(piano cocerto)を書いてくれませんか?」と依頼してきました。彼はふたつ返事で引き受けたのですが・・・・この時、実はジョージは「協奏曲(concerto)」という言葉を知らず、密かに辞書で調べたという伝説があります。

彼はポピュラーピアニストとして活動してきており、クラシックの素養を持っていません。それ以前の作品のオーケストレーションは、全部アレンジャーの人に丸投げしていました。しかし協奏曲(ピアノとオーケストラのための音楽)を書くのに管弦楽部分を丸投げする訳にはいかず、自分で書かざるを得ません。

そこで彼はオーケストラで使用する楽器を演奏できる人を自分で雇い、それぞれの楽器の特性を確認しながら、この曲を書き上げました。これが名曲『ヘ調の協奏曲(Concerto in F)』です。彼はこの曲をきっかけにクラシック音楽にも関わるようになり、1928年にヨーロッパを旅してきて『パリのアメリカ人(An American in Paris)』を書いたり、その後、『Blue Monday』『Porgy and Bess』などのオペラも書いています。

特に『Porgy and Bess』の興行的な成功は、オペラ作曲家としてのガーシュウィンの名前も高めることとなりました。

1937年7月11日、脳腫瘍のため死去。38歳という若すぎる死でした。

(2013-09-25)Dropped down from 今日は何の日.


↑
(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから