「おおスザンナ」「草競馬」などで知られるフォークソングライター、というよりも、アメリカのフォークソング(グリーングラス)の祖ともいうべきフォスター(Stephen Collins Foster)は1826年7月4日、ペンシルバニア州のローレンスビル(現在はピッツバーグ市内)で生まれました。アイルランド系の開拓民の子供でした。お父さんはWilliam, お母さんはElisaといいます。10人兄弟(8人兄弟,11人兄弟説もあり)の9番目の子でしたが、下の子が生まれてすぐに死んだため、実質末っ子として、比較的甘やかされて育ったようです。
家は比較的裕福で、黒人の家政婦がおり、彼女が幼いフォスターに子守歌のように歌ってあげていた音楽が、後の彼の音楽のベースになったと言われます。また当時ピッツバーグで活動していたミュージッシャン、ヘンリー・クレバーの影響があるとの指摘もあり、クレバーと実際に接触があったのではないかとの見方もあるようです。
当時の子供としては珍しくちゃんと学校に行っており、特に国語と音楽にその才能を発揮しました。8歳頃までにはフルートとピアノを自力で修得し、9歳の頃から黒人の楽団に混じって演奏をし、やがて数人の友人と一緒にバンドを結成して活動を始めています。彼はボーカル兼作曲者でした。現在残っている彼の最初の作品は13歳の時に書いた Tioga Waltz という曲です。
その後大学に進学したものの、音楽のために時間を使いたいということからわずか一週間で中退して会計事務の仕事などをしながら作曲活動をしていたようですが、商売のセンスの無い人で、その肝心の音楽方面からの収入がいまひとつであったようです(昨日取り上げたカフカと違ってフォスターの場合は当時、彼の歌はたくさん売れている。にもかかわらずまともな収入になっていない)。また晩年は南北戦争(1861-1865)のため国内が音楽どころの騒ぎではなくなり、かなり生活に困っていたようです。
(当時は現在のような「著作権使用料」のような考え方が無いので、作曲家は楽譜の出版の手数料や、楽曲を提供したミュージッシャンからのマージンなどで収入を得ていた)
彼の作品は188曲が残っていますが、現代の日本の中学や高校などでもよく歌われる、下記のような曲が含まれています。
♪おおスザンナ Oh,Susanna 1848♪草競馬 Camptown Race (aka Gwine to Rune All Night) 1850♪故郷の人々 Old Folks at Home 1851 (aka スワニー河 Swanee River)♪ケンタッキーの我が家 My Old Kentuckey Home 1853♪金髪のジェニー Jeanie With the Light Brown Hair 1854♪オールド・ブラック・ジョー Old Black Joe 1860♪夢路より Beautiful Dreamer 1862
「金髪のジェニー」は奥さんのJane(1850年に結婚)に捧げた歌ですが、実際には二人の仲はあまり良くなかったようで、しかも夫婦ともに酒豪の傾向があって、家庭はかなり荒れていたようです。この歌は実際の奥さんをイメージしたというよりも、奥さんがこんなであったら、という理想を歌ったものなのかも知れません。フォスターが亡くなった時も奥さんは(喧嘩して?)娘のMarion(1851生)を連れて実家に戻っていた時でした。
彼は生活面ではモーツァルト的ですが、作曲スタイルは実はベートーヴェン的であったようです。
彼の曲は軽快な曲が多く、いかにも簡単に作られているように見え、その割には現在まで残っている曲数があまりにも少ないように思われるのはそのせいで、実際には彼は歌詞のひとつひとつの言葉をかなり吟味し、一曲仕上げるのに何ヶ月も掛けるようなケースも多々あったと言います。
晩年はその苦悩がどんどんひどい状況になっていったようで、最後の頃は本当に全然曲が書けないという絶不調に陥ります。その窮地を救ったのが友人のチャールズ・シラスやジョージ・モリスらで、彼らは幾つかの作品をフォスターと一緒に制作しており(どれなのかは特定できないもよう)、そのあまりの美しさが輝く晩年の名作 Beautiful Dreamer もモリスとの共同作品ではないかという説もあります。
1864年1月13日舞台での事故の怪我により死去。享年37歳。
彼の死を看取った人は誰もいません。遺体のポケットには38セントのお金と、友人と奥さんに宛てた書きかけの遺書が残されていました。