日本では小学校の下校の音楽としてあまりにも有名な「新世界より」の作者アントニン・ドヴォルザーク(Antonin Dvorak)は1841年ボヘミアのプラハ近郊の町ネラホゼヴェスで生まれました。(当時はオーストリア領)
父親は肉屋さんを営んでおり、息子にもその見習いをさせていて、彼はその資格もちゃんと取っていたのですが、音楽への情熱は捨てがたく16歳の時に父親を説き伏せてプラハのオルガン学校に入学します。
学校卒業後、旅の楽団に入りヴィオラを弾く生活を始めますが、この楽団に後にスメタナが参加し、ドヴォルザークはこの偉大な音楽家から強い影響を受けました。
30歳の時に楽団を辞めて教会のオルガン弾きになりますが、優秀な音楽家への奨学金制度に応募していて、彼の才能がブラームスの目に(耳に?)止まり、ブラームスは個人的に彼を積極的に多くの人に紹介し、お陰でドヴォルザークの音楽はヨーロッパ中で聴かれるようになりました。
ドヴォルザークという人は人生の前半においてこの二人の大作曲家から素質を認められ、作曲家としてはかなり幸運な人生を送ることになります。
1884〜1891年には頻繁にイギリスを訪れ「交響曲8番・イギリス」等の名曲が生まれています。そして1892年にはアメリカ大陸に呼ばれ、ニューヨークのナショナル音楽院の院長になります。これから1895年までのアメリカ時代に代表作「交響曲9番・新世界より」や「ユモレスク」などの明るい作品を生み出しました。
晩年、ドヴォルザークは望郷の念にかられ、故郷のボヘミアに戻ってオペラ「ルサルカ」などを発表しています。1904年の春に体調を崩し同年5月1日、脳溢血のために死去。享年62歳。