『20世紀最大の魔術師』と言われたアレイスター・クロウリー(AleisterCrowley, 本名Edward Alexander Crowley)は1875年10月12日の夜半、イギリスのウォリックシャーで生まれました。彼がどんな人かご存じない方は本人自身の著である「ムーンチャイルド」(江口之隆訳・創元推理文庫)の巻末解説をお読みになるのが良いでしょう。
ケンブリッジ大学在学中の1898年、魔術結社「黄金の暁(Golden Dawn)」のメンバーに接触。この団体に入会しますが、当時幹部団員間に亀裂が生じつつあったこの団体は、このクロウリーという超優秀な団員の入団が引き金になって混乱の極致となり空中分解、1903年に解散してしまいました。
「黄金の暁(黄金の夜明けと訳す人もあり)」は19世紀後半から続いていたイギリスのオカルトブームの流れの中でひときわ輝く団体であり、1888年にウェスコット(William Wynn Westcott), メイザース(Samuel Lidell MacGregor Mathers,1854-1918), ウッドマン(William Robert Woodman,1828-1891)の3人により共同設立されました。
ノーベル賞作家ウィリアム・イェイツ(William Butler Yeats)なども参加していますが、中でも有名なのはこのイエィツに誘われて参加した画家パメラ・スミス(Pamela Colman Smith, 1878-1951)が会の主要メンバーのひとりであるウェイト(Arthur Edward Waite,1857-1942)の指導の下で制作した「ウェイト版タロット」(通称「ライダー・ウェイト」)で、現在世界中で最も愛用されているタロットカードであり、また多くの支流のタロットを生み出した名作です。
(但しこのウェイト版タロットが制作されたのは「黄金の暁」の解散後で、当時ウェイトやスミスは同会の後継団体のひとつ「Isia-Urania教会」に所属していた)
クロウリーは黄金の暁入会後物凄い勢いで昇進を重ね、やがてこのウェイトやメイザースら幹部の間に様々な混乱と対立を引き起こして行きます。そして団体が消滅する前の1900年にあっさりこの団体を脱退。アジア方面に修行の旅に出ました。
彼は日本やスリランカなども訪れたそうですが、1904年エジプトにて妻を霊媒にして天使エイワスより「法の書」(国書刊行会から日本語版が刊行されている)を授かり、その後の彼の活動の方向が定まります。
1907年に魔術結社A∴A∴ (Argenteum Astrum, 銀の星)を創立。この結社の機関誌が有名な「Equinox(春秋分点)」で、黄金の暁の様々な秘儀を公開しており、この雑誌の復刻版は現在でも世界中の多くの魔術研究者が読んでいます。
1912年には「東方聖堂騎士団(Ordo Templi Orientis)」の英国支部長に任じられたと自称しますが、この経緯に関しては疑惑の念を持つ人も多いようです。しかしOTOの2代目のリーダーであったテオドール・ロイスが結局彼を後継者に任命して亡くなったため1922年、彼はOTOの第3代リーダーに就任しました。
一方彼は1920年4月にシシリー島に「テレマ僧院」という魔術の道場を作りますが、この道場では死者なども出て彼は当局の取り調べを受けたりしています。
彼の最高の魔術的遺作となった「トートのタロット」は1930年代から約10年の歳月を掛けて1944年に完成しましたが、この類い希なインパクトを持つタロットを、当時は印刷できる出版社がなく、結局フルカラー印刷されてこのタロットが一般のファンの手にも入手できるようになったのは、彼の死後30年もたった1977年のことでした。
このタロットの作画者はLady Frieda Harris (1877-1962)で、彼はそれまでの全てのタロットを「美しくない」といって全て排撃し、最高のタロットを作ろうという意欲に燃えて制作したものです。作画者のハリスが、この気むずかしい魔術師の要求に応えるのに散々苦労したことは想像に難くありません。
このタロットを見た多くのタロット初心者が「怖い」と言います。とても綺麗な絵ですが、ひとつひとつの絵に強い魔法的な意図がちりばめられていますので、少しでもそういう方面を感じることのできる人にはその「怖さ」が実感できるのでしょう。強い魔力を持ったタロットですので、初心者はこのタロットで占いをすると物凄く疲れる人が多いようです。
ふざけた扱いを嫌うタロットなので、真面目な相談専用という感じになります。またこのカードの著作権の管理者は基本的にゲームやコンピュータの自動占いなどへの利用を一切許可しない方針のようです。実際そういう取り扱いが必要なカードだと思います。
冒頭紹介した「ムーンチャイルド」は彼自身が1929年に世に出したものですが黄金の暁に所属していた多数の魔術師の名前が、読めばすぐにその人と分かるような小さな変形で登場しており、その「おちょくり」方がひどいので、当時凄まじい抗議の嵐があったのではないかと想像できます。内容は最後の最後まで読むまでは、如何にもオカルト小説であるかのような体裁ですが、最後のオチは爆笑ものであり、この小説をどちらかというとギャグ小説に変えてしまっています。
このオチを付けたのはおそらくは(特に精神的に不安定な)読者がこの深く妖しげな魔術の理論に悪影響を受けないようにという優しい配慮なのでしょう。
彼の言動に関しては伝説がひとり歩きしている部分が極めて多いのですが、ひょっとすると案外楽しい人だったのかも知れません。
1947年12月1日、イギリスのヘイスティングスにて死去。享年72歳。彼の理論については弟子のイスラエル・リガルディ(Israel Regardie, 1907-1985)が多くの解説書を書いています。