1818年7月30日14:49、アイルランドのヨークシャーで「嵐が丘」の作者エミリー・ブロンテが生まれました。
一般にブロンテ三姉妹と称されていますが、実際にはかなりきょうだいの数は多かったのですが、早死の家系で、一番長生きしたシャーロットも38歳で亡くなっています。
三姉妹の内、一番上のシャーロット・ブロンテ(1816.4.21-1855)は「ジェーン・エア」を書きました。二番目のエミリー・ブロンテ(1818.7.30-1848.12.19)は「嵐が丘」を書きました。三番目のアン・ブロンテ(1820-1849)は「アグネス・グレイ」を書きました。
現代ではなんといってもエミリーの「嵐が丘」が最も評価が高いのですが発表された当時は三人の中で彼女の評価が一番低かったようです。
いじめや友人の死に逢う女子校での生活、家庭教師として勤めて、その家の主人との恋、精神障害の前妻の存在、放浪、火事でその主人が失明して、巡り合って大団円へ。。。といったややメロドラマ風で泣かされる「ジェーン・エア」に対して、「嵐が丘」の場合、ヒースクリフの報われない愛と葛藤が描かれ、しかもヒロインは物語の真ん中で死んでしまい、最後は主人公は行方不明という物語で、現代うけはするかも知れないが分かりにくい作品かも知れないという気もします。
(私はジェーン・エアを読んだ当時感動して、その影響でしばらく黒パンを よく食べていました。嵐が丘の方はいつまでも割り切れない思いが残って いました。アグネスグレイは未読です)
ブロンテ姉妹の育った土地はまさに「嵐が丘」のヒースの野のイメージがそのまま当てはまるような所だったといいます。その土地の環境も彼女らの弱い体質の原因なのではないかとも聞きます。しかしその荒れたヒースの丘の中にこそ、エミリー・ブロンテは、あそこまで純粋な愛というもののイメージを見たのかも知れません。