ボーア(1885-1962)

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現代物理学の基本原理のひとつ「相補性原理(concept of complementarily)」の提唱者として知られるニールス・ボーア(Niels Bohr)は1885年10月7日、デンマークのコペンハーゲンで生まれました。

コペンハーゲン大学を卒業後、イギリスで原子模型の理論を確立したラザフォード(Ernest Rutherford,1871.08.30-1937.10.19)に師事。熱力学におけるプランク(Max Karl Ernst Ludwing Planck,1858.04.23-1947.10月.04)の理論を応用して、原子内の電子は連続したエネルギー量を持てるのではなく、とびとびのデジタルなエネルギー量しか持つことができないという量子仮説を1913年に発表しました。

その後彼は1918年には、量子の世界と古典物理学の世界を何とか結びつけようとする対応原理(correspondence principle)を発表。初期の量子力学における重要な指導原理となります。1921-1922年にはこれまでの研究成果を元にして元素周期律表に関する理論の整理を行い、この業績に対して彼は1922年、ノーベル物理学賞を受賞しています。

(ノーベル賞は内容が不動の事実と確定した理論に対してしか贈られないので、偉大な研究者はしばしば、変な理屈をつけて賞をもらっている。光量子論の研究でもらったアインシュタインなどもその好例。)

彼の研究の中で最大の功績と考えられるのが1927年に提出された相補性原理です。これは大雑把に言えば、量子は物質と波動の両面を持っていて、お互いに補い合っており、状況に応じてその各々の性質が重なるように表に出てくるというものです。ハイゼンベルクの不確定性原理とともに量子力学を研究する上で最も重要な原理であり、また古典物理学に馴染んだ研究者には最も受け入れ難い理論でもありました。

ここで有名な電子のスリット通過実験というのがあります。短い距離で設置した2つの穴に向けて電子を1個だけ飛ばすと、この電子はふたつの穴を同時に通過したかのような、観測結果が得られます。

この時、古典物理学側の最大の論客であったアインシュタインなどは、電子はどちらかの穴だけを通過したのに決まっているのであり、同時通過などという訳の分からないことはあり得ないと主張しました。しかしボーアは現象をより精密に観測しようとすると、その観測行為が現象に影響を与えるので、正確に観測することは『原理的に不可能』であると主張しています。

この「観測の問題」を私はよく週刊誌のゴシップ記事にたとえて説明します。

芸能週刊誌の記事には極めて無責任なものが多く、しばしぱタレント夫婦の誰誰は離婚の危機にある、などと書いたりします。すると当事者はびっくりして、そんなことはない、と否定会見をするのですが、どうかした記者はそれで諦めずに、そのタレント夫婦に食い下がって取材し、更に勝手な憶測を加えた記事をじゃんじゃん書き、ふたりの過去のどうでもいいような問題まで引っ張り出したりします。中には当事者が相手に隠していたことなどもあり、そのために精神的に不安定になった当該夫婦は、何かのちょっとした喧嘩が元で本当に離婚してしまったりします。するとその記者は「やはり自分の取材は当たっていた」と主張するわけです。

こういうのは「観測が現象に影響を与える」好例といえましょう。

ボーアはその後原子核の核分裂などに関する理論を研究し、第二次世界大戦中はレジスタンスに参加したりもしています。戦争の初期ではデンマーク内で活動していましたが、だんだん危険度が高まってきたため1943年にいったんスウェーデンに脱出、戦後またデンマークに戻りました。

1962年11月18日、コペンハーゲンにて死去。享年77歳。その人生はまさに太く長い人生でした。

「正しい事の逆は間違っているが、深淵な事実の逆はまた深遠な事実である」

ボーアが遺した言葉です。


(2004-10-06)

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