ウィリアム・シェークスピアは1564年の4月26日、イギリス中部のストラトフォード・オン・エボンで生まれました。若い頃からロンドンに出てきて22歳頃から劇団の脚本作者となったようです。主要作品の中で最も早い作品は1590年にかかれた「ベロナの紳士」、最後の作品は1611年の「テンペスト」で、これを最後に彼は故郷に引きこもり、1616年に亡くなりました。
シェイクスピアは時々誤解されているように作家ではなくあくまで脚本家ですので、彼の作品には原作の存在するものも多数存在します。しかし彼の豊かな感性は、多くの場合において原作よりも深みのある作品に仕上げています。代表作の一つである「お気に召すまま」なども原作では作者が気が回らなかったであろう微妙な心理描写が入っています。
彼の作品群は主として5つのグループに分類できます。
・初期の作品に多いドタバタ喜劇空騒ぎ・間違い続き・終りよければ全てよし、など・それに続く時期に多い幸福な喜劇お気に召すまま・真夏の夜の夢・ベニスの商人・十二夜、など・ずっと書き続けられた歴史劇ヘンリー8世・アントニーとクレオパトラ・ジュリアスシーザー、など・四大悲劇を含む中期の悲劇群ハムレット・オセロ・マクベス・リア王・ロミオとジュリエット、など・引退直前の円熟したロマンティックな劇冬物語・シンベリン・テンペスト
シェイクスピアの活躍した時代は主としてエリザベス1世(在位1558-1603)の統治下の華やかな時代で、シェイクスピアより少し上の世代の詩人エドマンド・スペンサーなども活躍しています。
シェイクスピア当時の劇は現在の劇とは随分雰囲気が違います。主な特徴をあげますと、
・女優を使っていなかったので、女役も男性の俳優によって演じられていた。従ってお気に召すままのロザリンドなどは男性の俳優が女性の役を演じていて、それが物語の中で男装した上、女役を演じる、という3重の性転換を含んでいます。現代ではこの役は普通女優さんが演じていると思いますが、それではロザリンドの最後の口上が意味をなしません。
・小道具の類が無かった。従ってベニスの商人でシャイロックがアントニオにナイフを持って迫るシーンなども演技力だけで雰囲気を出していた。これを再現する試みをしたのを一度だけ見たことがあります。今は映画などではSFX流行りですが、こういうナイーブな演劇も逆に新鮮かも知れません。
・現在のような額縁舞台ではなく、回り360度から見られる舞台で演じられていた。そのため今のように観客の方を向いて台詞を言う、といった動作がなかった。TVや映画は既にこういう世界ですね。
といったものです。
なお子供向けの文学全集などによく収録されている「シェイクスピア物語」は、メアリ・ラム(1764-1847),チャールズ・ラム(1775-1834)姉弟がシェイクスピアの作品を小説化したもので、メアリが心の病を持っていた為、その心を落ち着かせることを目的の一つとして書き綴られたものだそうです。
----------------------※シェイクスピアの誕生日は4月23日ではないのか?シェイクスピアは誕生日も命日も4月23日であるとして、4月23日がシェイクスピアデーになっていると思うが。
確かに今日一般には4月23日をシェイクスピア・デーとしてお祝いしています。しかしシェイクスピアの洗礼の記録は確かに1564年4月26日になっています。当時は通常生まれた日にすぐ洗礼する習慣でしたので、やはり誕生日は4月26日と考えられます。むろん何か特殊な事情で(神父さんが風邪をひいてたとかで)洗礼が遅れた可能性もないとは言えません。
現在4月23日をシェイクスピアデーとしているのは、ひとつはシェイクスピアの命日が1616年の4月23日であること。また4月23日はイギリスの守護聖人であるセント・ジョージ(聖ゲオルグ。スペイン風に言うとサン・ジョルディ)の祝日であることから、イギリスを代表する作家としてふさわしい、というところから来ているようです。