教育家として知られるペスタロッチ(Johann Heinrich Pestalozzi)は1746年1月12日、スイスのチューリッヒで生まれました。チューリッヒ大学在学中に、詩人として知られるヨハン・ラバター(Johann Kaspar Lavater)らとともに市民運動のようなことを始めますが、やがて友人の死をきっかけにそういう活動からは離れ、1769年に結婚したのを機に農地を購入し、農業に専念するようになります。
そしてこの頃から、近所で親のいない子供たちなどを集めて、学校のようなものを始めました。この試みは、多数の協力者を得て、次第に大きな活動となっていきます。その後、本人の農場のほうは結局挫折してしまったため、1880年代半ば頃からは、この学校の運営に集中することになりました。
以前幼稚園の創始者として取り上げたことのあるロバート・オーエンなどもこのペスタロッチの学校を訪問して、その教育スタイルを学んでいます。
フランス革命後の1798年、ナポレオンのフランスがスイスを侵略すると、多数の孤児があふれました。彼はその子たちの救護と教育にも駆け回っています。この時彼はナポレオンに直接会いに行って交渉したりもしています。 1805年にはスイス西部のイヴェルドン・レ・バン(Yverdon-les-Bains)に移住し、そこで多くの著作を書いています。この地でも彼は学校を運営していますが、教師たちとの対立などもあり、あまり成功とはいえないものであったようです。
彼の評価は、むしろ死後高まったといえますし、また彼の影響を受けた人達が、近代の児童教育で様々な活動をして、今日の教育システムにつながって行っていると考えたほうが良いでしょう。
1827年2月17日死去。81歳。