人物-西洋近世

このページは、西洋のルネッサンスからアメリカ独立頃までの時代(概ね1300〜1776年頃)に活躍した人物についての情報を集めます。


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↑ カルダノ(1501-1576)
三次方程式の一般解を公開した数学者・ジェロラモ・カルダノ(Gerolamo 
Cardano)は、1501年9月24日、ミラノの近くのパヴィアという町に生まれ
ました。

両親は元々ミラノに住んでいたのですが当時大流行していた黒死病から
逃れるために田舎町に引っ越してきています。彼のきょうだい3人もその
病気のために亡くなっています。なお、彼のお父さんはレオナルド・ダ・
ビンチの友人だったそうです。

地元の大学で医学を学び、そのまま医者として開業。名医として評判で
あったようです。

彼は数学にもとても堪能で、三次方程式に一般解が存在することを知り、
1545年に Ars Magna という本の中で公開しました。

二次方程式に一般解が存在することは古くから知られており、ax2+bx+c=0
の一般解は、D=b2-4ac として、x= (-b ± √D)/2a と表されることは、
現代では中高生にはおなじみですが、三次以上の方程式についてはそのような
一般的な解法が長く見つからず、一般的には解けないのではとも思われて
いた時期も長かったようです。

三次方程式の一般解を見つけたのは実際にはScipione del Ferroという人では
ないかと推定されています。しかし彼はこの方法を公開せず秘匿したまま死に
ました。その方法に興味を持ったTartagliaという人が、彼の弟子との接触を
通して、やはり三次方程式の解法に辿り着きます。Tartagliaが、弟子たちの
言葉をヒントに自力で解法に到達したのか、弟子から具体的に教えてもらった
のかは、よく分かりません。

カルダノはTartagliaが三次方程式の解法を知っていると聞き、教えてくれと
言って聞き出しますが、この時、Tartagliaは、その方法を教えるが公開しては
いけないという約束をさせました。

ところがカルダノはその後、Scipione del Ferroの遺稿を見る機会に恵まれ、
この解法が実はTartagliaが発見したものではなく、既にScipione del Ferro
が知っていたことを知り、だったらTartagliaとの約束は無効であると考え公開
してしまったものです。Tartagliaは激怒しましたが、このカルダノの行動の
お陰で、三次方程式の解法が世の中に知られることとなったのです。

そのため、現在その解法は「カルダノの公式」の名前で呼ばれています。

なお四次方程式の一般解法については、カルダノの弟子のLudovico Ferrari,
1522-1565 が発見しました。そして五次以上の方程式にはそのような一般解法
が存在しないことを、ガロワ(Evariste Galois, 1811-1832)が証明し、これが
数学の群論の端緒となりました。

なおカルダノが亡くなった時期については、よく分かっていませんが1576年
か1577年頃に亡くなったようです。

(2013-09-23)

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