2月27日は古代ギリシャの詩人サッフォー(Σαπφω,Sappho)の誕生日であるという説があります。
サッフォーの年代については生まれたのがBC650年頃という説からBC610年頃という説まであります。亡くなったのは少なくともBC581年より後です。これはピタコスの反乱で彼女が一時期レスボス島を離れていたのが、反乱の終結したBC581年以降に島に戻ったらしいことから来るもので、実際BC570年くらいではないかとも言われ、そこから逆算すると生まれたのは恐らくBC630〜620年頃ではなかろうかとも想像されます。
サッフォーはレスボス島のミュティレネ(あるいはエレソス)の生まれで、人生の大半をミュティレネで過ごしました。裕福な家の生まれであったようで結婚してクレイスという娘をもうけています。夫は商人で仕事のため不在がちであったともいわれますが、この夫の職業については根拠は怪しいようです。
今日でもよく上流階級の婦人が行うように、現地で多くの女性を集めた茶会のようなものをよく催しており、常連の若い娘さんが結婚して島を去るなどという時には祝婚歌を贈ったりしていたようです。このお茶会のようなものは、今でいえばフィニッシング・スクールのようなものではないかということで、19世紀頃のフィニッシング・スクールには、サッフォーの肖像画を女子教育の元祖として掲げていた所もあったそうです。
サッフォーの詩はさすがに2600年の月日が流れているだけあって、あまり多数残っていません。現存の詩で恐らく完全なものであろうといわれているのは「アフロディーテに捧ぐ」という7連からなる詩です。彼女はアフロディーテを愛でる詩をたくさん書いているようですが、その中のひとつがBC1世紀のディオニュシオスという人の本の中に丸ごと引用された状態で残っていました。
なお彼女の詩はひとつの連が4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式を取っており「サッフォー・スタイル」と呼ばれています。
彼女の詩は私も、古代ギリシャ語は読めないので英訳で結構読んだのですが、確かに大胆で時には艶めかしさを感じるようなものもあります。古代ギリシャの特に外縁部であるレスボス島の自由な雰囲気が伝わってくるかのようです。
彼女の詩があまり現存していないのは、この大胆な表現が災いして中世にキリスト教会が彼女の本を大量に焚書したからだという俗説があるのですがどうもこの説には根拠がないようです。中世のヨーロッパというのは文化的に暗黒の時代で、あまり古い文化を受け継いでいくような思想がなかったために失われてしまったというのが実際の所のようです。
※彼女の詩(No.19)
彼女の光り輝く足首に、素敵な服がまとわりついている リディアの国で作られた刺繍の入った革製の服。 女神様にふさわしい。
私のつたない翻訳では雰囲気が伝わらないのが申し訳ないですが、英訳は とてもセクシーです。一見、女性の友人を愛でる歌かとも思えるのですが この詩は実際はアフロディーテを愛でる詩のようです。
彼女は女神達や妖精たちを愛でる詩の他に、茶会に参加している女性の友人達に向けても結構大胆に称讃した詩を書いており、そのため彼女は同性愛者だったのではないかとして、彼女の名前をとって sapphist あるいはもっと婉曲的に彼女の住んだ島の名前をとって lesbian というのが、女性の同性愛者を表すことばとして使われてきました。
しかし彼女の詩の中には自分の弟に対して一見恋愛感情かと思えるような表現をしたものがあったりもするので、女性に対するセクシーな表現も彼女流の半ば戯れに近いものであった可能性もあります。(彼女には兄あるいは弟が2人か3人いたらしい)
※彼女が弟に向けた詩(No.27) 私の方に来て、愛しい人。顔をこちらに向けて。 そして目を開いて、その優しい瞳を見せて。 毎度つたない訳でご免なさい。
彼女が本当に同性愛者だったのかどうかについては、分からないとしか言いようがありません。ただ当時のギリシャ外縁部の文化というのは、性についても、かなり自由な雰囲気があったのではないかとも思われます。
彼女の詩をまとめた詩集がサッフォーの生きた時代、あるいはその直後くらいに9個か10個あったようですが、中世の間に全て失われていました。しかし、ルネッサンス以降彼女の開放的な表現は評価され、多くの人があちこちの本に引用された逸文の収集に努力してきました。そして19世紀になって、エジプトのオクシリンコスで大量発見されたパピルス文書の中に、サッフォーの詩の断片が多数発見されました。今日サッフォーの作品として私たちが見ることができるのは、これらの断片を、研究者たちが「これとこれがつながっているのでは?」などと推測してつなぎ合わせて構成した詩です。