「迷犬ルパン」のシリーズなどのユーモア推理小説で知られる作家・脚本家の辻真先(つじまさき)は昭和7年(1923)3月23日、愛知県名古屋市で生まれました。
名古屋大学卒業後NHKに入社。「バス通り裏」などのプロデュースを務めます。1962年にNHKを退職。虫プロで「鉄腕アトム」の脚本を書いたほか、「デビルマン」「巨人の星」「サザエさん」「ドラえもん」等多数のアニメの脚本を書き、黎明期・成長期のテレビアニメ文化を支えました。
彼の筆の速さは有名でしかも頭がマルチに動いていたといいます。毎週新しい話を作り上げなければならないアニメ界の忙しさはすまじいのですが彼はしばしば喫茶店でアニメの脚本を片手で書きながら、口でその次の回の放送の敵キャラのデザインの打ち合わせを放送局担当者とし、頭の中ではその更に次の回のストーリーの構想を練っていたといいます。
小説家としては1963年に桂真佐喜の名義で「生意気な鏡の物語」を発表したのが実質的なスタート。そして1972年に「仮題・中学殺人事件」で異色推理作家としての名をミステリーファンの間に広めました。1981年には現実と物語が交錯する奇作「アリスの国の殺人」を発表して日本推理作家協会賞を受賞しました。代表作の迷犬ルパンシリーズは1983年から書き始めたもの。
彼の作品にはシリーズをまたがって登場する人物が多数います。これは師である手塚治虫の考え方を受け継ぐものです。手塚治虫は漫画の登場人物というのは役者のようなものであり、ひとつの物語である悪人の役を演じた人が別の物語では善人を演じることもあるのだとしていました。辻真先の場合は各登場人物の性格は一貫していますが、夕刊サンの記者・可能克郎、銀座のママで女優の近江由布子、少年ウィークリーの編集長・新谷知久、放洋社の中込攻、またユノキプロの面々などが多数の作品で作者の意志を越えて勝手に顔を出しています。
迷犬ルパンシリーズは下にも書いていますが赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズのパロディです。それもあって赤川次郎と比較する人も多いと思うのですが、赤川次郎が本格推理にユーモアの味付けがあるのに対して辻真先はむしろユーモア小説に推理の要素が含まれているといったほうがいいかも知れません。私はむしろ小林信彦などに通じるところがあるように感じています。
彼の筆の速さは小説家になってからも衰えず、その速さを更にスピードアップさせるためにかなり早い時期にワープロ(液晶ではなくCRT付きの本格タイプ。一度何かで写真をみた感じはオアシスに見えたが違うかも)を導入しています。今では電子原稿が当たり前ですが、彼はその先駆者でもあります。
■仮題・中学殺人事件(朝日ソノラマ/のち講談社)
可能キリコ(スーパー)と牧薩次(ポテト)を主人公とするシリーズの第一騨。このシリーズでは19世紀推理小説の黎明期に盛んに追求された「意外な犯人」というものに迫る。このあと盗作・高校殺人事件、改訂・受験殺人事件と続く。探偵は数多くの作者により犯人にされた。クリスティーはアクロイド殺人事件で筆者を犯人にした。この仕組は横溝正史の「蝶々殺人事件」で更にきれいにまとめられている。しかし辻真先のこのシリーズでは小説内の一部を書いた筆者ではなくその推理小説の作家本人、そして本の出版者、最後には、読者!までもが犯人にされてしまう。
このシリーズは朝日ソノラマでSFドラマ殺人事件、SLブーム殺人事件、TVアニメ殺人事件と続いた後、講談社で少し模様替えして鉄道シリーズとして、急行エトロフ殺人事件、寝台超特急殺人事件、流氷特急殺人事件、沖縄県営鉄道殺人事件、と続いた。沖縄県営鉄道殺人事件ではとうとう「ヤマトンチュー(沖縄外の日本人)」が犯人とされた。
なお「牧薩次」は「辻真先」のアナグラムである。
■トラベルライター・シリーズ(徳間)
トラベルライターの瓜生慎とその妻で財閥令嬢の真由美を主人公とするシリーズ。1975年の「死体が私を追い掛ける」以来、全国各地の鉄道に死体をばらまいた。
■ユーカリおばさんシリーズ(中央公論・集英社)
1983年の「吝嗇の人」で登場。その後孫娘の綾川くるみ、その恋人で旅役者の三津木新哉とともに全国で事件の解決に当たる。サブシリーズに一時期全国各地に誕生した「独立国」を巡る国立探偵シリーズがある。中央公論のシリーズと集英社のシリーズは少し雰囲気が違う。国立探偵は全て中央公論。
■迷犬ルパンシリーズ(光文社)
1983年の「迷犬ルパンの名推理」から始まった大人気シリーズ。構想としては赤川次郎の「三毛猫ホームズ」シリーズのパロディで、向こうが猫なら、こちらは犬に探偵をさせようという趣旨。ルパンの共同飼主である警視庁の朝日正義とタレントの川澄ランを主人公とするが、後にはランの弟の健とその恋人の木暮美々子の活躍が大きくなる。
概してユーモアに彩られてはいるが、真相あるいは結末にはしんみりとさせられるものが多く、いわば松竹新喜劇にも似た独特の世界がある。なかでも「迷犬ルパンと殺人結婚」は俊逸。この作品は他のルパンシリーズとは雰囲気が異なっていて、ひょっとすると別のシリーズ用に暖められていた構想なのかも知れない。
なお、サブシリーズに「犬墓島(犬神家の一族+八墓村+獄門島)」「蜘蛛とかげ団(蜘蛛男+黒とかげ+少年探偵団)」「お犬様捕物帖」「線と面」「銀河鉄道の朝」などといった一連のパロディ作品があり、これらの元ネタを読んでいる人でオリジナルの熱烈なファンの人以外は結構楽しめる。
■ツアーコンダクター・シリーズ(新潮文庫)
仮題・中学殺人事件の主人公キリコの兄で辻作品に最も登場機会の多い可能克郎と、その恋人智佐子(後結婚)を主人公とするが、この二人は絶対に探偵にならない!!このシリーズは探偵役は毎回主人公以外の人がするというのがコンセプトであり、智佐子の祖母の萱庭カヤなども活躍する。二人の結婚後は「新妻シリーズ」。またツアーコンダクターだけあって前半のシリーズでは海外が舞台になっているが、この作品はロケハンを敢えて行わず、資料だけで書く!というのもコンセプトであった。
■葉月麻子シリーズ(双葉文庫)
このシリーズまで読んでいるのはかなりのファンである。辻真先の作品では珍しく頭脳明晰な名探偵・葉月麻子が活躍する。ただし彼女は途中まではもっぱら三枚目キャラを演じ、最後のクライマックスで突如表情が変わって集中して考え出し、犯人を指摘する。ある意味では辻がTVで多数脚本を書いた変身ものの系統に属するのかも知れない。
■味子シリーズ(徳間)
これはトラベルライターシリーズが真由美の妊娠中お休みになっていた間のピンチ・ヒッターで3作だけ発表された。グルメレポーターで、鰺が好きな(神保)味子さんと相棒のカメラマン空閑三九郎が主人公だが探偵役は味子の恋人で事故による下半身不随のため自宅におり味子との電話で推理をするロックチェア探偵・永坂進吾である。
主人公が産休を取るなどというのも、辻真先の「登場人物役者論」ならではの論理であろう。
■贅沢シリーズ(祥伝社)
これは4作だけ制作(世にも贅沢な殺人、世にも香しい殺人(香水,香道)、世にも達者な殺人(書道)、西伊豆昇天海岸)されたが、趣味が広く知識欲旺盛な辻真先の魅力が出ている「ためになる」本である。西伊豆昇天海岸にはトラベルライターシリーズの前半最終話で犯人との対決で命を落とした坂西とね子の夫、弥太郎の後日談が含まれている。
■その他の作品
単発もので優秀なのは「殺人小説大募集」(実業之日本社,入手困難)と「緑青屋敷の惨劇」(朝日ソノラマ)。前者は10本の短編からなる作品だがその10本の作品にそれぞれ謎が隠されていて、通してひとつの作品にもなっているという「入れ子型」の小説。最後を締めるのはスーパーとポテト。後者は江戸川乱歩の少年探偵シリーズを思わせるようなサスペンス志向で新いろは歌の「とりな」が出てくる。この他に賞を取った「アリスの国の殺人」がある。これはものすごくビジュアルな作品。