1901年9月19日、エリザベス・サンダース・ホームの「ママちゃま」こと岩崎(澤田)美喜が生まれました。
外交官澤田廉三と結婚、パリなどで生活。終戦後の昭和23年2月1日、神奈川県大磯町にエリザベス・サンダース・ホームを設立します。これは占領軍の兵士と日本女性の間に生まれてから捨てられた子供たちを育てるための施設で、この施設から2000人ほどの子供たちが巣立っていきました。
こういった子供たちの存在を政治家や官僚たちは米軍による日本占領の暗部と考え、アメリカ政府も日本政府この問題には敢えてふれたがらなかった。しかし澤田夫妻は立ち上がりました。
澤田廉三氏は戦後の日本の国連加盟に尽力した人です。子供たちは親に捨てられたということと、肌の色が違うということで世間から二重の不当な差別を受けていました。そのため彼らは例えばホームのある大磯の海岸で海水浴を楽しむことさえもできず、廉三の故郷の鳥取県岩美町の海岸でやっと受け入れてもらえました。ここはホームの第二のふるさとであり、澤田夫妻の墓もここにあります。
「彼女はライオンのように困難に立ち向かい、ヒツジのように子供たちに接した」とは、ねむの木学園で子供達を救った宮城まり子さんの評です。