推理作家・斉藤栄は昭和8年(1933)1月14日、東京都大田区で生まれました。中学時代から小説を書き始め、高校時代は石原慎太郎らと同人誌を発行していました。東大法学部卒業後、横浜市役所に勤務しながらも小説を書き続けます。東大法学部を出た人はたいてい弁護士になるか中央官庁の幹部候補生なのですが...わざわざ市役所というのは、やはり小説を書く時間が欲しかったからでしょうか。彼の作品はしばしば宝石などにもされていましたが1966年の「殺人の棋譜」は第12回江戸川乱歩賞を受賞しました。
しかしそれでも彼は公務員との二足のわらじをつづけながら作品を書き続け市役所を退職してプロ専業になったのは1972年不惑の年のことです。
彼の作品は初期の頃は社会的な作品が多かったのですがやがて「殺人の棋譜」に代表されるような将棋界を描いた作品、また魔方陣シリーズなどが現れてきます。そしてやがてタロット日美子シリーズ、小早川警視正シリーズ、江戸川警部シリーズなどの連作を書くようになります。
中でも1985年から書き始められた「タロット日美子シリーズ」は一時期は毎月新作(ノベルズ版の数百ページ)が出るという凄まじい創作速度を見せ、この速度はひとつの出版社では耐えきれないため、出版社が10社以上にまたがり、そのためファンでも完全に捕捉するのはたいへんという状況でした。この時期どこかの書評が「月刊日美子」と書いていました。元々斎藤氏の筆の速さは信じ難いものがあります。おそらく全盛期の辻真先氏などといい勝負でしょう。
日美子シリーズは、シリーズ後半から出てくるようになった「怪盗ファジー」も面白い存在ですが、主人公で二階堂警部(^^;夫人の日美子が扱うタロット占いは、日本国内のタロットブームを後押しする働きもしました。
当時タロットに関する日本語で読める文献が少なかっただけに、フィクションの中とはいえ毎回斬新な占いをしてくれる日美子はタロットを学ぶ人たちの絶好の教科書でした。私はあまりに感動したのでファンレターを出したら丁寧な(自筆と思える)お返事の葉書を頂いたのが、また感激でした。ファンレターは返事がもらえるとは思わず出すものなので、いざもらえたら、とても嬉しいものです。しかも当時は最高に忙しい執筆活動をなさっていたはずなのに。
もっとも斎藤氏も初期段階ではタロットに関してあまりよく分かっていなかったようで、日美子シリーズの第一作「OL現代詩殺人事件(1985.3.25)」では『タロットのスートは、クラブとハートとスペードとダイヤ』などと、とんでもないことを書いています。当時はまだタロットを使う人というのは国内でもひじょうに珍しく、カード占いといえば大半がトランプ占い師でした。
しかし氏のタロットに関する研究は作品を追うごとに進展しており、珍しいタロットの紹介、かわったスプレッドの紹介に加え、国内ではほとんど書かれたことのない(今でもめったに書かれない)、タロットを使用した魔術なども紹介されており、これはひじょうに参考になりました。
またタロットの1枚引きによる占いを『ワン・オラクル』と呼ぶ呼び方というのは、この本から広まったのではないかとも思えます。(この本を読んだ私もかなり宣伝しましたが。。。。)
日美子シリーズは私も1992年頃に80冊を越えた所までは捕捉しているのですが(つまりそこまでは全部読んだのですが)、そこで忙しくなってフォローをギブアップしています。最終的にはどのくらいまで伸びているのでしょうか。。。