現在では日本を代表するサッカー選手となった中田英寿は1977年1月22日山梨県甲府市で生まれました。
小学3年でサッカーを始め、中学時代からその才能が注目されます。
甲府北中2年の時に関東選抜メンバーに、3年でU15(15歳以下のチーム)日本代表になりました。
名門韮崎高校ではインターハイ・全国高校選手権に出場する一方、U17・U19の代表に名を連ね、卒業する時は当時のJリーグ12球団の内ヴェルディ川崎を除く11球団から勧誘されます。
高校時代、マスコミのアンケート「日本はW杯にいけるか?」という質問に「いける」と答え、理由に「僕がいるから」と答えた、というエピソードも伝わっています。彼らしい答えです。
海外留学の希望を聞いてくれるベルマーレ平塚に入団後、翌年96年にはオリンピックで活躍。28年振りの本戦出場や一次リーグでのブラジルからの金星などに大きく貢献しました。
翌年にはA代表にデビュー。日本の初めてのワールドカップ出場に大きく貢献します。特に最終的に出場を決めたジョホールバルでのイラン戦では、日本があげた3得点全部に絡む働きを見せ、調子を落としていた三浦知良に代わる新しいエースとしてその筋の注目を集めました。そして、この直後世界選抜に選ばれて、その存在は一般のサッカーファンにも大きくアピールされることになります。
ワールドカップ本戦では決勝トーナメント進出こそなりませんでしたが、その非凡なプレーはファンの目を釘付けにしました。ワールドカップ後、セリエAのペルージャに移籍。レベルの高いリーグでもまれて、その実力は更にどんどん伸びつつあります。