俳優の中村梅之助さんは昭和5年(1930)2月18日、東京に生まれました。父は歌舞伎俳優・3代目中村翫右衛門。
翫右衛門はそれまでの歌舞伎の保守的な風潮に反発して4代目河原崎長十郎らとともに昭和6年5月22日に「前進座」を立ち上げました。最初はスターの不在でなかなか客が入らず苦労するものの、少しずつその活動は認められていきます。
梅之助は9歳の時に「勧進帳」の太刀持で初舞台を踏み、1945年に入座、1948年に正式の座員になっています。テレビにも1960年頃から出演していましたが、なんといっても大きな人気を呼んだのが1970年7月から1973年9月までテレビ朝日系列で放映された「遠山の金さん捕物帖」でした。
遠山金四郎は天保11年(1840)から嘉永5年(1852)まで江戸町奉行を務めた実在の人物ですが、一説によれば若い頃放蕩して桜の入れ墨をしていたとし、この入れ墨を両肌脱いで白州で見せるシーンがドラマのクライマックスになっていました。(水戸黄門の印籠を見せるシーン同様の見せ場)なお遠山金四郎自体については下記を参照して下さい。http://homepage1.nifty.com/anecs/social/people/nihon-edo/kinsan.htm
この遠山の金さんは以前映画で片岡千恵蔵が演じたことがありましたが、梅之助の金さんは丸っこく柔らかい雰囲気で、「遊び人の金さん」によく似合っており、このドラマは大人気シリーズになります。その後梅之助は前進座の方が忙しくなって降板しますが、このシリーズはその後、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹とキャストを変えてもう30年間続いています。杉良太郎の颯爽とした金四郎、高橋英樹の調子の良い金四郎のファンの方もあるかと思いますが、私は個人的には松方弘樹の金四郎が梅之助同様、遊び人的な感じが出ていていいと思います。また別シリーズですが西郷輝彦が演じた金さんも好きでした。
梅之助はその後テレビでは伝七捕物帖の紫房の十手を持つ岡引・伝七や、藤田まこと主演の必殺シリーズの味のあるオープニング・ナレーションなどでも活躍していますが、主たる活動の舞台は前進座に移しています。
前進座では歌舞伎からミュージカルまで色々な演目が上演されていますが梅之助主演の「魚屋宗五郎」は特に人気が高く、この演技に対して松尾芸能賞演劇優秀賞、また「一本刀土俵入」では文化庁芸術祭賞を受賞しています。
現在、前進座の演劇スタッフのリーダーである幹事長。若い役者さんたちを育てながらも、自身の演技にも円熟みが増しています。