喜劇役者で桃屋の「ごはんですよ」のCMでも親しまれた三木のり平(本名田沼則子,たぬまただし)さんは1924年4月11日、東京に生まれました。(1925生説もあり)
日本大学で美術を志していましたが、学生時代に「東京弁をしゃべれる役者が足りないから」と誘われて舞台に上がることになります。俳優座等を経て三木鶏郎グループに参加し、NHKラジオ「日曜娯楽版」で人気を集めます。
その後、映画「社長シリーズ」「映画シリーズ」などの軽妙な演技で喜劇役者としての地位を確立しました。その三木を評して、当時徳川夢声は「今やエノケンの跡をつぐのはのり平だ」と言いました。一方では森光子の放浪記の演出なども手がけています。
「則子」の名前は、お父さんが「昔は聖徳太子とか小野妹子とか、男の子の名前に子を付けていたんだ」といって付けたものだそうですが、少年時代、定期券を駅員に見せると「待ちなさい。それは姉さんの定期かね?」などと呼び止められることもあったとか。
桃屋のCMは1958年に始まり、以来40年以上にわたって日本中に流れてきました。昨年亡くなった後は、息子さんの小林のり一さんが新作分を吹き込んでいます。のり一さんは大林映画に4本ほど出ている俳優さんです。
生涯コメディアンとして通した三木ですが、晩年には「野蛮人のように」のヤクザの大親分のような、渋い役どころもこなしています。こういう、年輩のコメディアンにフィクサー役を当てるというのは、昨年のTVシリーズの「蘇る金狼」における、いかりや長介のように近年一種の流行のようです。
1996年勲四等旭日小綬章。
1999年1月25日、肝腫瘍のため死去。享年74。
「喜劇役者は人を笑わせるのが仕事。人に笑われてはいけない」というのを信条としていました。「アチャラカ喜劇」に一生を捧げた人生でした。