囲碁の林海峯(りん・かいほう,リン・ハイフェン)名誉天元は1942年5月6日に中国・上海で生まれました。幼い頃に台湾に移動(そのため国籍は台湾)。兄から囲碁を教わり、台湾国内でめきめきと力を付けてきたところを、日本で活躍していた呉清源に見出されて1952年来日します。
(この頃は囲碁のプロ組織は日本にしかなかったので、韓国や台湾の棋士はみな日本に来てプロになっている)
いったん東京の日本棋院の院生(プロ棋士の養成組織の会員)となりますが、1954年に日本棋院関西総本部の院生に移籍。翌1955年プロ棋士となってその後はほぼ毎年昇段して1962年に七段。1960年からはまた東京本院に移籍しています。1967年に九段。
(日本棋院は東京の本院のほかに関西総本部と中部総本部がある。このほか関西には関西棋院がある)
林は1965年に史上最年少の23歳で名人位獲得。この最年少記録は未だに破られていません。以後、名人8期、本因坊5期、天元5期、十段・王座・碁聖各1期という成績をあげています。通算対局数(2004年3月に2000局)・通算勝利(2005年1月現在で1265勝)は堂々の1位。趙治勲もまだこの記録に追いついていません。(どちらの成績も2位は故・加藤正夫・3位が趙治勲)
林海峯の全盛期はだいたい1965-1973年頃と思われますが、その後も多数のタイトルを獲得しており、1989-1993年には天元五連覇。1990年に世界選手権優勝。1994年には52歳で碁聖を獲得。2001年には獲得こそならなかったものの名人の挑戦者となり、名人リーグには昨年まで残っていました。本因坊リーグの方にも一昨年在籍しており、現在まだ第二黄金期の最中にあるかのよう。60歳を過ぎた今もバリバリのトップ棋士の1人といって良いでしょう。
なお、現在名人・本因坊・王座の三冠を持つ張栩九段(小林泉美・前女流名人・前女流本因坊の夫)は林の門下です。