中堅のポップス歌手として活躍中の工藤静香さんは1970年(昭和45年)4月14日、東京都福生市で生まれました。
はじめ、柴田くに子・木村亜希とともに3人組のアイドル「セブンティーンクラブ」としてデビューしますが、そう売れない内に1985年解散。
そのあと、フジテレビ系「夕焼けニャンニャン」に出演する女の子「おニャン子クラブ」のオーディションを受けて1986年5月23日合格。会員番号38。
同年10月8日、渡辺満里奈(会員番号36)が「深呼吸して」でソロデビューした時、生稲晃子(会員番号40)とともにバックコーラスを務めます。(その後発売された満里奈のアルバムに収録されたバージョンでは、レコード会社が異なる為?このバック・コーラスは消去されている)
翌年3月30日に高井麻巳子(現・秋元康夫人)が卒業して「うしろ指さされ組」が解散すると、斉藤満喜子(会員番号42),生稲晃子とともに「うしろ髪ひかれ隊」を結成。5月7日「時の河を越えて」でデビュー。
そして同年8月31日「夕焼けニャンニャン」の最終回に「禁断のテレパシー」でソロデビュー。要するに、夕焼けニャンニャンのバックアップ無しで一人立ちすることになった、最初の歌手ということになります。
(夕ニャン終了後に我妻佳代(会員番号48,芹沢直美の妹)などもデビューしたが、生き残れなかった)
夕ニャン出身の歌手が少しずつ忘却の彼方に飛ばされていく中、工藤静香はその大人びた独特の雰囲気と落ち着いた歌唱力により、純粋に第一線の歌手として、ずっと活動し続けて来た、ほぼ唯一の存在といえるでしょう。
渡辺満里奈は「みなさんのおかげ」で鍛えられた後、タレントとしての活動がメインになっていますし、国生さゆり(会員番号8)は女優として活躍中です。
主なヒット曲「FU-JI-TSU」(1988)「MUGOん...色っぽい」(1988)「恋一夜」(1988)「くちびるから媚薬」(1990)「慟哭」(1993)「激情」(1996)「BlueVelvet」(1997)「きらら」(1998)「Blue Zone」(1999)
なお「夕焼けニャンニャン」の番組名は萩本欽一の「欽ちゃんのどこまでやるの」に出演していた高部知子が「ニャンニャン事件」と呼ばれたスキャンダルに巻き込まれたことからこの「ニャンニャン」という言葉のイメージを改革しようという意図で付けられたタイトルでした。1985年4月1日スタート。1987年8月31日まで2年5ヶ月の間に、おニャン子クラブ52名、同B組5名、息っ子クラブ7名(沢向要士ら)を生み出しました。夕方5時という通常極めて低い視聴率の時間帯に放送されたにも関わらず、お化け的な視聴率をあげます。そしてこの番組に「次の時間帯のニュース」の予告として出演していた逸見政孝もこの番組によって一躍人気者となりました。しかしそれは逸見の寿命を縮める結果になったのかも知れません。
(2000-04-13)