藤井猛(1970-)

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将棋の藤井猛竜王(2001.09現在)は1970年9月29日、群馬県沼田市で生まれました。羽生四冠と同い年で誕生日もわずか2日の差です。当然ホロスコープもほとんど同じになります。月の位置が羽生は獅子座で藤井は乙女座になるのが最も大きな違い。つまり王者的な羽生と、精密な藤井ということになるかも知れません。

羽生に遅れること3年半、1986年4月に奨励会に入り、1991年に四段に昇段してプロになります。奨励会通過に5年かかって、結果的にプロになったのは羽生より5年半後。この時既に羽生は竜王や棋王を取っていた訳ですが、藤井はここからさらに五段になるのに3年かかっています。まさに遅咲きの棋士です。しかし彼は次第にその独特の「藤井システム」で、羽生の後を急追します。

基本的に将棋の戦法は、飛車を最初あった筋にそのまま置いて使う「居飛車」と、どこかの筋に移動させて使う「振り飛車」とに分けられます。どちらかが振り飛車を取れば相手は居飛車を使うことになります。藤井システムはこの「振り飛車」戦法のひとつで、飛車を四筋に置きますので四間飛車とよばれる手法のひとつです。

逆の居飛車の戦法として有名なもののひとつに「居飛車穴熊」といって、王様を隅っこに置いて、周りを防御の駒で固めてしまう方法があるのですが、藤井システムというのは、この居飛車穴熊戦法や、左美濃などに対して高い勝率を誇ります。この画期的な戦法により、彼は1996年升田幸三賞を受賞しています。

彼はこの戦法でどんどん勝ち続け1998年とうとう竜王戦の挑戦者になってしまいました。当時の竜王は谷川浩司。誰もが谷川の圧勝を予想したでしょうが、ここで藤井は七番勝負をなんと4−0のストレート勝ちをして、竜王位を奪ってしまいました。これによって多くの人が嫌でも藤井という棋士のことを知ることになります。

しかしタイトルというものはしばしばそれほど強い訳でもない棋士がたまたまその時期絶好調であったために取得するケースもあります。ですからタイトルというのは、実は防衛して初めて価値が出るものです。

1999年の相手は鈴木大介六段。これはさすがにみんな藤井の勝ちを予想し、その期待に応えて4−1で勝ってタイトル防衛に成功します。そして彼の真価を問うことになったのが昨年の七番勝負。この年の挑戦者は羽生善治五冠です。

羽生は当時棋聖を奪取して四冠から五冠になったばかりで、ここで竜王を奪えば六冠。再び夢の七冠への復帰が見えてきます。バリバリに気合いが入っていました。これは希にみる熱戦になりました。

10月19.20日 先手藤井三間飛車・後手羽生居飛車位取り 藤井勝 1-011月 1. 2日 後手藤井四間飛車・先手羽生居飛車    羽生勝 1-111月15.16日 先手藤井四間飛車・後手羽生特殊戦法   藤井勝 2-111月23.24日 後手藤井四間飛車・先手羽生居飛車    藤井勝 3-112月 5. 6日 先手藤井四間飛車・後手羽生居飛車    羽生勝 3-212月14.15日 後手藤井四間飛車・先手羽生居飛車    羽生勝 3-312月25.26日 先手藤井四間飛車・後手羽生居飛車左美濃 藤井勝 4-3 防衛!!

いったん藤井が3-1とリードした後で羽生が接戦を制してタイまで戻したのはさすがです。そして最後は藤井システムに対して羽生はわざわざ最近ではこの藤井システム登場によりほとんど指す人がいなくなった左美濃で対抗する挑戦的な戦い方をしますが、持久戦を耐え抜いた藤井が逃げ切り勝ち。

誰もが最強と認める羽生を退けたことで藤井は名実ともに最高棋士の一人として評価されることになり、併せて藤井システムの優秀さが改めて証明されました。そしてこれは竜王戦初の三連覇というおまけ付きでした。

(竜王戦の前身の九段戦・十段戦では大山康晴の10連覇というとんでもない成績が光っている。中原も6連覇している)

そして羽生は今年2001年も再び竜王戦挑戦者として登場します。10月16日から始まる七番勝負には今年も熱戦の期待がかかります。


(2001-09-28)

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