俳優の新珠三千代(あらたまみちよ, 本名戸田恭子→靖子→馨子 *1)は昭和5年(1930年)1月15日、奈良県奈良市小西町で生まれました。4人姉妹の2番目でした。妹の乃理子も俳優になっています(芸名:桂典子)。
(*1)本名を2度変更している。なお芸名は夏目漱石「それから」のヒロイン 平岡三千代から取ったものです。新珠は「それから」は撮っていません が1955年「こゝろ」の映画化で<先生の妻>の役を演じています。 監督は市川崑です。
13歳で宝塚音楽学校に入学。宝塚歌劇団では娘役として活躍し、八千草薫、有馬稲子と共に「三人娘」と呼ばれます。1951年には東宝「袴だれ保輔」で映画デビュー(東宝=東京宝塚:元々阪急が東京に作ったブランチ)、また宝塚退団後の1956年にはKRテレビ「智恵子抄」でテレビにも進出します。
このKRテレビは後のTBSです。この放送局の初期の名作がフランキー堺主演の「私は貝になりたい」ですが、その映画版で新珠は主人公の妻の役を演じています。(監督橋本忍)
その後東宝の六部作「人間の條件」、NET(現テレビ朝日)の「氷点」などに出演していますが、なんといっても新珠の代表作となったのは1970-1971年に日本テレビで放映された「細うで繁盛記」でした。(73-74に続編が放送)
伊豆の小さな旅館「山水館」に身売り同然に嫁いだ浪花娘の加代が、持ち前の根性と前向きな姿勢、近代的経営感覚で、旅館を盛り立て、大旅館へとしていく過程を描いた、いわゆる「根性物」の物語ですが、保守的な他の旅館との衝突も多く描かれていましたが、それよりもやはりこの物語では、何かにつけて対立する夫の姉・正子と加代とのぶつかり合いが、見所でした。
この凄まじく意地悪で古い感覚の持ち主として描かれている正子を熱演したのが冨士眞奈美ですが、奇しくも冨士も新珠と同じ1月15日生まれ。ただし年齢は冨士のほうが8つ下です。
花登筺『銭の花』を原作としたこの物語は視聴率が40%ほどまで上がる回もあった、お化け番組となりました。
オープニングには新珠自身によるナレーション「銭の花の色は清らかに白い。だがつぼみは血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする」というものが入っていました。
細腕繁盛記の後も新珠は多数のドラマに出演しています。
・NHKの大河ドラマ「新平家物語」・「風と雲と虹」・日本テレビ「薔薇夫人」・毎日放送の連続テレビドラマ「愛と憎しみの宴」・TBSの金曜ドラマ「遠ざかる足音」(曽野綾子原作)・NHK銀河テレビ小「やけぼっくい」・テレビ朝日「女のそろばん」(平岩弓枝原作脚本)・NHK連続テレビ小説「虹を織る」
1980年代には京塚昌子との共演のドラマも数本あり、ひとつのパターンになっていました。
また舞台の「細雪」の次女役は当たり所とされました。細雪はドラマ版にも出演しています。また晩年はバラエティ番組などにも出ていました。
平成13年(2001年)3月17日、東京港区の病院で椎間板ヘルニアの手術後に急変して死去。71歳でした。(手術中に死去と書いている資料もあるが、当時のZAKZAKのニュース記事では手術後に容態が悪化と書かれている)