佐藤千夜子(1897-1968)

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NHKの連続ドラマ「いちばん星」で紹介されたので覚えておられる方も多いかと思います。日本で最初のレコード・スター歌手・佐藤千夜子は1897年(明治30年)3月13日、山形県天童市で生まれました。

13歳の時、英語の勉強をするため上京。ミッション系の学校に在学中オペラを観たことから音楽を志し、東京音楽学校に入学。ここで山田耕筰と知り合い、山田から中山晋平を紹介されて、中山に師事することになります。

中山が野口雨情らと一緒におこなっていた「新民謡・新童謡コンサート」に歌手として参加、この企画の中で生まれた「波浮の港」が1928年ビクターからレコードとして発売。これが日本の商業レコード第一号とされているようです。

同年、古賀政男の「影を慕いて」を歌い、これによって古賀政男はメジャーデビューすることができました。(この曲自体はその後、藤山一郎版が大きくヒットする)

1929年には、最大のヒット曲「東京行進曲」をはじめ、「愛して頂戴」「紅屋の娘」などのヒットを次々と飛ばします。

「東京行進曲」は菊池寛の同名小説を映画化したものの主題歌で、日本初のタイアップ曲であり、また「歌謡曲」というジャンルを確立した曲であるとされます。この曲のプロモーション・スタッフはレコードを持ってカフェなどを回り、たくさん掛けてもらって曲をヒットさせ、それが映画のヒットにもつながりました。映画の主演は入江たか子です。

これだけの大きなヒットを飛ばしたにも関わらず、佐藤はこの年の秋、突然イタリアに渡ってしまいます。その理由については「いちばん星」では中山晋平との不倫問題を決着させるため、としていましたが、異説では当初から希望していたオペラ歌手になるためともされます。

しかし佐藤はイタリアで成功することはできず、失意の内に帰国。その後は日本国内で復帰を目指すもそれも果たせず(流行歌手というのはたいがいそういうものですが)、1952年ちょっとした事件を起こして新聞沙汰となり、事実上芸能界から引退しました。

1968年12月21日、ガンのため死去。

天童市の天童民芸館は佐藤の生家を再現したものだそうです。地元では佐藤を記念したイベントなども時々おこなわれているようです。


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