※「セキュリティ保護のため...」というメッセージが出る方・日本語が入力できない方へ
岡田茂吉(1882-1955)
真光系の教団や神慈秀明会・救いの光など少なくとも30以上の教団のルーツ となる世界救世教の創始者・岡田茂吉は明治15年(1822)12月23日東京浅草で 生まれました。 祖父は裕福な質屋さんでしたが父親が店を没落させ、茂吉が生まれたころは 店を失って露天商になっていました。そういう父だけに茂吉は早くから自立 の意志を見せ、はじめ画家を志しますが病気のため断念、代わりに鑑定眼を 磨いて25歳の時、古美術商になります。 2年後には日露戦争の勝利に沸く世相に乗じて女性用のアクセサリーショップ をオープン、彼自身のデザインによるアクセサリーが売れて店は大きな利益 をあげます。この頃結婚。 しかし商売は好調でも相変わらず病気がちで「婦人病以外の病気は全部した」 というほどだったそうです。そして大正8年取引銀行が倒産したために突然 破産の憂き目に遭い、しかも同年妻が死亡。いきなりどん底にたたき落とさ れてしまいます。その後何とか事業を立て直し再婚もしますが、世界恐慌、 関東大震災と相次ぐ大きな波に巻き込まれその度に事業は挫折しました。 さすがに神に救いを求めるようになり大本に入信、自らも神懸かりの経験を して、昭和3年には商売をやめ昭和6年ころからは大本の伝道師として熱心に 活動するようになります。しかし大本の本部の方針と対立。昭和9年に脱退 して同年5月応神堂設立、翌年大日本観音会結成。浄霊による病気治療の活 動を独自に始めました。しかしこの活動は医師法違反に問われ、警察の摘発 を受けます。その後も戦時中はかなり当局の目を意識した不自由な活動を 余儀なくされました。 終戦後宗教の自由化に伴い、本格的な活動を再開。いくつかの名称変更を 経て、昭和25年に世界救世教を設立しました。この頃から有名な手かざしに よる浄霊法も積極的に始めます。また自然農法に興味を持ち、化学肥料や 農薬を使わない農業に熱心に取り組み、またその広報に務めました。一方で は元からの仕事兼趣味である美術の方でも多数の美術コレクションを集めて います。昭和30年2月10日死去。 なお教団名は「救世」を当初は「メシヤ」と読みましたが昭和32年からは 普通に「きゅうせい」と読むようになっています。茂吉の死後はさすがに 求心力が薄れ、この教団から昭和34年に岡田光玉の真光(まひかり)、昭和 45年には小山美秀子の神慈秀明会、昭和47年に大沼祐子の救いの光、など などが独立して各々本体より大きく成長しています。
Dropped down from 今日は何の日.