「高野聖」「婦系図」「滝の白糸」などの作品で知られる作家・泉鏡花(本名鏡太郎)は1873年(明治6年)11月4日、金沢市下新町に生まれました。父は加賀藩に仕えた彫金師、母は役者の娘でした。そのような両親を持ち、文化と工芸の町・金沢で育ったことが泉鏡花のあの華美な世界を生み出すのでしょう。子供の頃、彼は母や近所の女性たちからたくさんの草双紙を読んでもらっていたといいます。
その母が9歳の時難産のため死亡。その1年半後に松任の摩耶夫人像(お釈迦様のお母様)に詣でたのを契機に、彼の頭の中で亡き母と摩耶夫人が重なり、生涯続く摩耶夫人信仰が始まったといわれます。
北陸英和学校を経て、石川県金沢専門学校(後の四高)の受験に失敗したあと上京、1年ほどお寺を巡ったりしながら放浪生活を続けたあと、尾崎紅葉の門下生となり小説家になるべく修行を重ねます。(この時期のことがのちに「星あかり」に描かれる)
デビュー作は1893年「冠弥左衛門」ですが、これはあまり評価されませんでした。そして翌年父が亡くなった為金沢に戻りますが、それから彼は金沢で執筆を続けます。「滝の白糸」の名前で現在でもよく舞台で上演されている「義血狭血」はこの頃に書かれたものです。この物語は1895年川上音次郎の一座により上演されて、たいへんな評判となりました。この1895年には「夜行巡査」「外科室」もある程度の評価を受け、このあたりが彼の小説家としてのスタートラインになります。
1900年には問題作「高野聖」を発表します。この耽美な世界は彼の心の中にある女性への、信仰にも似た憧憬とその裏返しの妖しさとが微妙に織り合わされています。
1907年には「婦系図」の連載開始、1910年には「歌行燈」を発表。彼の代表作となりました。大正時代になってからも1913年「夜叉ヶ池」1917年「天守物語」1919年「由縁の女」といった作品を発表し続けました。昭和になってからも年に1作くらいずつ作品を出し続けましたが、1939年(昭和14年)9月7日肺腫瘍のため逝去。枕元に「露草や赤のまんまもなつかしき」のメモが遺されていました。享年65歳。
生誕百年にあたる1973年に金沢市が「泉鏡花文学賞」を創設しました。彼の生家跡には現在泉鏡花記念館が建っています。
■滝の白糸(原作名は「義血狭血」)
北陸で評判の水芸の太夫・滝の白糸は一座の移動中に馬車と人力車の競争に巻き込まれ、その結果馬車の御者に抱きかかえられて裸馬に相乗りする羽目になる。数日後、浅野川天神橋で偶然その御者・村越欣弥と再会した彼女は、本当は東京に行って勉強し学問で身を立てたいのだけど、と夢を語る欣弥を励まし、自分も支援してあげるから、お行きなさいと背中を押してやる。
3年後、水芸も下火になり滝の白糸は実は欣弥に仕送りするお金に困り始めていた。その中、彼の卒業のために百円の大金を興行主から借りるが、帰り道に出刃打ち芸の南京寅吉に襲われて、お金を奪われてしまう。呆然とする白糸の目の前に寅吉が残した出刃包丁が目に入った。
ここから先は舞台を見るか原作をお読み下さい(^^)
川上音次郎一座は実は作者に無断で上演したのですが、皮肉にもそれが鏡花にとっての出世作となります。後に水谷八重子の当たり役となりました。
■外科室最近、吉永小百合主演・坂東玉三郎監督で映画化され話題になりました。躑躅の咲く植物園で一度すれ違っただけの医学生と伯爵夫人が恋に落ちるがその恋はその後お互いの胸の中に秘められたままであった。何十年もたってから、伯爵夫人が外科医として一人前になっていたその元医学生の元を訪れ心臓病の手術を依頼する。そしてこれからオペ開始という時になって、彼女は、あなたと話がしたいから麻酔を掛けずに手術をしてくれと言い出す。
■婦系図(おんなけいず)滝の白糸と並び新派の舞台では有名な名作。物語は人間関係が複雑に入り組んでいるので、舞台を見に行く人は事前に原作を読んでいないと訳がわからないかも知れない。ドイツ文学者の早瀬主税は恩師の酒井俊蔵に隠して柳橋の芸者であったお蔦と結婚していた。その酒井の娘の妙子に静岡の名家の息子・河野英吉との縁談が持ち上がる。河野家は妙子の素行調査で主税の所にも来るが、その高圧的な態度に怒った主税はこの縁談を壊そうとする。しかしその結果彼がお蔦と結婚していることが酒井の知る所となり、酒井によって二人は別れさせられてしまう。それに続いて偶然巻き込まれたスリ事件に絡んで早瀬は勤め先をクビになってしまった。そして早瀬は汽車の中で偶然菅子という女と知り合うが、それは河野英吉の妹であった。二人はそれぞれの意図を持って交際を始める。菅子は兄の妙子との縁談を早瀬にも支持してもらうために、早瀬は河野家に復讐するために。
後半は更に話が複雑になっていきますので、ちょっとこのスペースでは紹介しきれません。お蔦の『別れろ、切れろは、芸者の時に言う言葉』というセリフが有名です。
■夜叉ヶ池同名の池はあちこちにあると思うが、これは岐阜県と福井県の県境にある夜叉ヶ池である。板東玉三郎の白雪姫で舞台や映画も制作され、その妖しい魅力に背筋が凍った人もあるのではないだろうか。大学教授の山沢は偶然越前の琴弾谷を訪れ、そこで旧友の萩原と再会する。彼は村娘の百合と結婚し、古い鐘撞堂で暮らしていた。萩原は近くの夜叉ヶ池に住む龍神様の怒りを鎮めるため日に3度鐘を撞かねばならないので、その役目を先代の堂守から引き継いだのだという。
一方その夜叉ヶ池に住む龍神・白雪姫は剣ヶ峰に住むボーイフレンドの所に遊びに行きたいのだが、人間との契約で、日に3度鐘が撞かれている限り池から出ることができないので困っていた。一方地元の村では長いこと雨が降らずに悩んでいた。そこで気になりだしたのが鐘撞堂である。龍神との古い時代の契約のことは村人たちには忘れられており、かえって嵐がおきればその雨で助かるではないかと考え出す。すると鐘を撞き続ける萩原たちが邪魔である。そしてとうとう村人は雨乞の儀式のために百合を生け贄に捧げたいと言い出した。
山沢と萩原が抵抗するも百合は村のためならと自ら死を選んでしまった。そして鐘が途絶えたのを喜んだ白雪姫は池を出る。凄まじい嵐と洪水が起こって村は完全にその中に呑み込まれていく。
■高野聖(こうやひじり)飛騨の白川村の近くにある天生峠(あもうとうげ)を舞台にした妖しげな話。
修行を積んだ高野聖(高野山出身の伝道僧)が飛騨の峠を越えた時、茶屋で嫌な薬売りと遭遇する。彼は聖を追い越して先に行ってしまうが道が二手に分かれているところで、水浸しになっている本道を避けて、急な旧道をのぼっていった。聖は地元の人から本道の水浸しはそう先まで続いていないので危険な旧道は避けた方がいいと言われるが、その薬売りの身を案じて、彼の後を追って旧道を上っていく。
しかし薬売りにはなかなか追いつけず、蛇の大群に出くわしたりして散々苦労した後やがて一軒の家にたどりつく。そこには美しい女性が障がいを持つ夫と召使いの3人で暮らしていた。一夜の宿を乞うと女性は快諾する。
裏手に川があるのでそこで体を洗うとよいといわれ聖が降りていくと女性が近づいてきて服を脱がせて自らも裸になって彼の背中を洗ってくれた。久しく触れていない女性の肌に聖もドキドキするが自分は仏に仕える身と思い直して身を縮める。『こんな格好のままで川へ流されたら村人はどう見ましょうか』と女が言うと聖は正直な心で『白桃の花だと思います』と言う。すると女は嬉しそうに微笑んだ。
川から戻ると召使いが馬を里に売りに行くと言っていた。馬はなかなかおとなくししていなかったが、女が裸になると静かになり、その姿のまま馬の下をくぐり抜けると、馬は歩き出した。
その夜聖が寝ていると家の周りで獣の騒ぐ声がした。猿や鳥・蛙などの声に混じって魑魅魍魎かと思われるような声もあったが、やがて家の主の女の「今夜はお客様があるよ」という声で静かになった。
翌朝聖は女に礼を言って道を行くのだが、途中で気が変わり、修行はやめてあの家に戻り、あの女性と一緒に暮らしたいと思い始めた。しかしそこにちょうど昨夜馬を売りに行った召使いと出会う。彼がその気持ちを告白すると、召使いは笑って言った。「御坊様、突然煩悩が起きられましたか?並みの男なら、お嬢様の手にかかればすぐに馬や牛に姿を変えられてしまいます。ご無事にここまで降りてこられたということは、よほど意志が固かったと見えますのに。いま私が売りに行った馬も、昨日家にやってきた薬売りのなれの果てですよ。悪いことは言わないから、ここには二度と近寄らないほうがいい」
聖は山を登っていく召使いに深く礼をすると静かに道を先に進んでいった。