忠犬ハチ公(1923-1935)

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渋谷の駅前の銅像で知らない人はいない忠犬ハチ公は大正12年(1923)11月10日秋田県大館市の斎藤義一さん宅で生まれました。母は胡麻号、父は大子内号といいました。

その頃東京帝大・農学部の上野英三郎教授が秋田犬の子犬を飼いたいと思って探していました。その話が知り合いから知り合いへと伝わり、大正13年1月14日、世間瀬さんという人の手により斎藤さんの所で生まれた子犬が博士のもとに届けられました。博士はこの子犬に「ハチ」という名前を付け、子供がいなかったこともあり、とても可愛いがりました。

上野博士は渋谷に住んでおり、渋谷駅まで歩いてそこから農学部の試験場なり駒場のキャンパスなりに電車で通勤していました。ハチは、はじめは玄関から博士を見送っていたそうですが、その内駅まで一緒に付いていき、博士が帰るころの時刻になると、しばしば駅までお迎えに行くようになっていました。

ところが上野博士は大正14年5月21日に大学校内で急逝。ハチ公と博士のわずか17ヶ月の付き合いは終わりました。ハチ公は知り合いで三軒茶屋に住む小林氏の家に引き取られました。

しかしそれ以降、そのハチ公がちょうど上野博士が帰宅していたくらいの時間帯にまた渋谷駅に来て誰かを待っている風な様子がしばしば目撃されました。

三軒茶屋から渋谷でしたら犬にとっては十分行動範囲ですから、もしかしたら単に子犬の頃からよく来ていた界隈で遊んでいただけだったかも知れませんが、これを見た人たちは「可哀想に。ご主人が亡くなっても、ちゃんとお迎えに来てるんだ、忠義な犬だ」ということで騒ぎ始め、昭和7年には新聞にまで載り、昭和11年には小学校の修身の教科書に掲載され、昭和9年4月21日には、なんと銅像まで建ってしまいました。銅像を制作したのは帝展審査委員の安藤照氏です。この銅像の除幕式にはハチ公本人も出席しています。

そしてハチ公はこの翌年、昭和10年3月8日、亡くなりました。享年11歳。毛皮は剥製にされて上野科学博物館に保存され、遺骨は青山墓地の上野博士の墓のそばに葬られました。

このハチ公を記念してハチ公の出身地の大館でも昭和10年7月8日、渋谷のものと同じ型を使用した銅像がお目見えします。ところがこの渋谷・大館ともに、戦時中の金属供出で取り壊されてしまいました。一方では修身の教科書に載せておいて、わりとやることがムチャクチャです。

しかし戦後また有志の人たちが集まり、渋谷の銅像は昭和22年8月に再建、大館の銅像も昭和62年11月に再建されて現在に至っています。


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