鼠小僧次郎吉(1797-1832)

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盗んだ金を貧乏人たちにバラまいて「義賊」と呼ばれたといわれる大泥棒・鼠小僧次郎吉は天保3年(1832)5月8日に捕縛されました。(5日説あり)

次郎吉は寛政9年(1797)の生まれといわれます。歌舞伎の中村座の木戸番の長男で建具職人をしていましたが、バクチで身を持ち崩し借金に追われて、無宿人となり、1823年頃から武家屋敷に泥棒に入るようになりました。

武家屋敷を狙うのは別にお金のありそうな所を狙おうという意味ではありません。武家屋敷は被害にあっても届け出ればむしろ「盗賊などにやられるとは不届き至極」とおとがめを受ける可能性がありますので、まず届けることはありません。彼は身のこなしが軽く、ひとけのない所をうまく狙って盗んだので人を傷つけることなく、しかも処分に困るような物品には手を付けず現金だけを狙いました。

1825年には一度捕まって入墨の上追放の刑を受けています。十両盗めば首が飛ぶ時代にこの刑はやはり被害届が出ていなかった故でしょう。しかし彼はこれで泥棒から足を洗いませんでした。更に盗みを続け、とうとう1832年のこの日、松平宮内少輔の屋敷に忍び込んだ所を捕まりました。

今度は二度目ですので刑も厳しく、同年8月19日市中引廻しの上鈴ヶ森刑場で打首獄門になりました。

彼のお墓が回向院にあります。伊勢屋四郎兵衛という商人が施主となって、建ててあげたものだそうですが、その墓石は「盗人の墓を削り取ったものを持っていればギャンブルに強くなる」という俗説のため大量に削り取られています。

なお彼の実際の行いについては後世の創作による部分が膨らみすぎてよく分かりません。本当に盗んだ金をばらまいていたかについても疑う人が多いようです。


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