文政10年(1827)11月19日、俳人・小林一茶が亡くなりました。
江戸時代の俳人といえば、まずは松尾芭蕉と与謝蕪村の二大巨匠が輝いていますが、それに続く存在がこの小林一茶でしょう。
めでたさも 中くらいなり おらが春やせ蛙 負けるな 一茶ここにあり雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る名月を 取ってくれろと 泣く子かな我と来て 遊べや 親のない雀
小林一茶は宝暦13年(1763)信州にて生まれました。15歳のとき江戸に奉公に出、25歳の時二六庵竹阿の弟子となり、3年後竹阿が亡くなると、その後継者となって一茶と称しました。
一茶は江戸から房総付近にかけて旅をしながら俳句を読み続けました。何ヶ所か立ち寄り先にしていたところがありますが、特筆すべきなのは上総富津の女流俳人・織本花嬌のところでしょう。二人は静かに愛を育てていきますが、やがて文化10年花嬌の死によって、この愛は終わりを告げます。一茶51歳の時。
翌年一茶は故郷に戻り結婚しますが、生まれた子供がみな夭折。更に妻も亡くなり、更にその後結婚した2番目の妻とは短期間で離婚しています。更に亡くなった文政10年には家が全焼する不幸にも襲われており、晩年は苦労が多かったようです。
これがまぁ つひのすみかか 雪五尺