隠元禅師(1592-1673)

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4月3日はインゲン豆を日本に持ってきた、日本黄檗宗の祖・隠元禅師の命日です。この日は「インゲン豆の日」にもなっています。

隠元禅師は1592年中国の福建省で生まれました。

幼い頃父が旅行に出たまま行方不明になり、成人してからその父を探しに旅に出ます。しかし見つからないままある時お寺に泊まっていて、菩薩と相みまえることが父と会うことに等しいのではないかということを思い至りました。

いったん故郷に戻って在家のまま仏を崇拝していましたが、母が亡くなると29歳の時出家、広慧寺の密雲のもとで悟りを開き、その法嗣の黄檗山萬福寺住職費穏のもとで臨済宗の正伝を得ます。そして46歳の時費穏のあとをついで萬福寺住職となりました。

しかし、その頃中国(明)は北方民族(清)の侵入によって混乱していました。寺もあちこちで焼き討ちに遭い、もう国も滅亡寸前という感じです。そんな中日本の長崎の興福寺の逸然がぜひ日本に来て正統な禅を広めてくださいと熱心に誘っていました。もう祖国では教えを広めるどころか自分たちの身の安全も危うい状況、隠元は63歳でしたが、大決断をし、弟子20人たちを連れて日本へ渡って来ます。将軍徳川家綱は彼を厚くもてなし、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都に建てさせました。

隠元の流れの禅はその山号を取って黄檗宗と呼ばれています。基本的には臨済宗の系統ですが、禅宗には珍しく念仏を使います。また中国から来ていますのでお経など用語が全て中国読みになるという特徴があります。

隠元の来日により、日本の禅はその厳しい戒律などを見て大きな影響を受け、それぞれまた新たな自己改革をしていくことになります。一番大きな影響を受けたのは親戚に当たる日本臨済宗よりもむしろ曹洞宗の方であったとも伝えられます。

インゲン豆はこの隠元が禅の普茶料理の材料として普及させたものです。原産地は中南米のようです。僧は肉や魚の類を原則として食べませんので、タンパク質の補給源として豆は貴重なものです。お茶を飲む習慣を持ち込んだ栄西、沢庵漬けの沢庵、など禅僧と食事というのは良好な関係にあるのでしょうか。


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